12 世紀転換期を迎える福井県(1)
 わが国では、高度経済成長の終えんが明らかとなった1970年代後半から、「地方の時代」のかけ声とともに、大都市圏と地方との経済格差の是正が本格的な課題となります。実際、地方における公共事業の拡大と、電機・自動車工業などの下請部品工業を中心とした雇用拡大により、1人あたりの県民所得格差の縮小が全国的にみられるようになりました。

 福井県においても、中川知事は、「グリーン県政」「ふるさとづくり」などをスローガンに、道路整備や農林漁業基盤整備、公共施設建設など、県内全域で公共事業を推進しました。また、これらの事業による雇用とあわせて、下請部品工業や商業・サービス業の福井・坂井・丹南および嶺南への進出、嶺南の建設業の拡大など、比較的低廉な労働力に対する需要が高まりました。これにより、多数の家族構成員の就労により一家の収入を確保して消費の拡大と貯蓄の積み増しをはかるという、これまでもみられた県民の経済生活のパターンがより明確になったのです。
 
 88年(昭和63)には、栗田幸雄知事のもとで「生活満足度日本一」の実現をめざして「新長期構想」が策定されました。そして、その後、経済企画庁の「新国民生活指標」(豊かさ指標)で福井県は94年(平成6)から4年連続で全国総合1位の県となりました。右にみたような経済格差の是正施策の結果、県民1人あたりの施設数が増加したこと、自動車による市街地・勤務地へのアクセスが容易になったこと、小規模な資産を保有する家族層が厚く形成されるようになったことが、こうした指標に表われたと考えられるでしょう。
  1人あたり県民所得の対全国比(1967〜85年度)
   ▲1人あたり県民所得の対全国比(1967〜85年度)
   「豊かさ」の代表的指標である「1人あたりの県民所得」の推移をみると、福井県でも1973年
   (昭和48)以降全国平均の90%をこえ、大都市圏に位置する上位都府県との経済格差は
   縮小した。『都道府県別経済統計』による。
   朝の通勤ラッシュ(福井市)
   ▲朝の通勤ラッシュ(福井市)
    通勤・通学による市町村間の人口移動(1990年)
   ▲通勤・通学による市町村間の人口移動(1990年) 拡大図 29KB
   960年(昭和35)の国勢調査では福井市隣接地域から市内への500〜
   2000人程度の移動がめだつ程度であった。嶺南では敦賀市と小浜市、
   さらに京都府舞鶴市への周辺からの若干の移動がみられた。これに
   対し30年後の90年(平成2)には、福井・坂井・丹南地域に事業所など
   が集中し、嶺北全域にわたってこれらの地域への通勤・通学による移
   動がみられる。また嶺南の原電立地市町への移動も目を引く。 『国勢
   調査報告』による。

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