10 工業開発と「臨工」(1)
福井港開港式(1978年)
▲福井港開港式(1978年)
福井港は、1978年(昭和53)7月31日に開港式が挙行された。立地
企業が急増する80年代後半以降も自動車輸送が主体となったため、
福井港の利用船舶数は基準を下回り、関税法上外航船の入港が
可能となる「開港」の指定を受けるにいたっていない。
 テクノポート福井への進出企業累計数(1970〜90年)
   ▲テクノポート福井への進出企業累計数(1970〜90年)
   福井県石油コンビナート等防災計画による。
 1960年代以降急速に進展した幹線道路網の整備は、県内の内陸部の工場立地を促進ました。嶺北では都市近郊地域に工場用地の造成が始まり、市街地にあった機械工場や繊維工場などが移転し、新鋭設備を備えた近代的な工場の建設が進みました。工場立地が遅れていた嶺南でも、国道27号の整備とともに関西の縫製工場や電気部品工場が進出し始めます。61年(昭和36)公布の中小企業振興資金等助成法により鯖江市に計画された染色工業団地や眼鏡工業団地のように、当初計画の過大さと資金見通しの甘さから挫折を余儀なくされた例もありましたが、自治体の用地取得支援を受けつつ中小企業が自主的な工場集団化を図る小規模な団地化計画は比較的順調に進行しました。ようやく工業部門の多様化の動きが県内にもみられるようになったのです。

 このように工場立地は主として内陸部を中心に進展していきましたが、他方、全国各地で大規模港湾を中心とする臨海型の工業拠点の開発が進められるなかで、福井県でも、国体開催後の中川平太夫知事の最重点事業として、69年、福井市と三国町にまたがる三里浜における福井臨海工業地帯(福井臨工)造成計画のマスタープランが公表されました。

 当初計画は、4万トン級船舶の接岸が可能な新港を建設し、約870万ヘクタールの工業用地の造成により、アルミ精錬・加工工場とこれに必要な火力発電所や石油コンビナートを建設し、金属・機械・食品加工などの工場を誘致するというものでした。この計画に対しては、関西財界からは港湾規模の小ささを懸念する声があり、県経済界のなかにも消極的な姿勢がみられました。またアルミ精錬や火力発電による大気汚染、工場廃水による水質汚染などを懸念して公害反対運動が一挙に盛り上がりますが、中川知事はおりからの列島改造計画ブームの追い風を受けて計画を推進し、73年9月には精錬工場の立地協定が調印されました。

 
福井県のおもな工業団地(1996年)   福井県のおもな工業団地(1996年)  拡大図 42KB
  ●は、1980年以降の造成地を示す。工業用地面積10万平方メートル以上のものは、
  番号を付し表に記した。「県商工労働部工業技術課資料」による。

←前テーマ→次ページ目次