9 変わる農業(2) | ||
![]() ▲「結い」による田植え 池田町 清水邦彦氏提供 |
![]() ▲耕うん機 池田町 宇野久子氏提供 |
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![]() ▲農薬の共同散布 戦後、二化メイ虫を防除する農薬パラチオン剤が急速に普及し、 1960年(昭和35)には9割の農家が利用するようになった。50年 代なかばまでは人力による噴霧器が主力であった。 池田町 内藤哲夫氏提供 |
![]() ▲農業機械の普及 『農業センサス』による。 |
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また、60年代に小型耕うん機や動力防除機の導入から始まった稲作用の農業機械は、きびしい肉体労働を必要とするかつての農業のありかたを変えていきました。70年代に入るとバインダー、コンバイン、田植機が急速に普及しました。乾燥機はカントリーエレベーターの普及とともに減少し、80年代後半以降の全般的な台数の減少は、農家戸数の減少とともに請負耕作が進んできたことによります。 こうした機械化と土地基盤整備とによって、生産性の向上と大幅な省力化がなされ、米はいっそう有利で安定的な作物となっていきました。兼業化がより進んでいた県内農家にとっては、この意味はさらに大きく、兼業形態も日雇いや臨時雇用などの不安定就業から、恒常的な勤務へと広がっていきました。 反面、米への生産集中と食生活の変化によって、70年代に入ると「米過剰」が表面化してきました。生産調整、いわゆる「減反」が開始され、県内でも80年代以降、調整面積は全水田面積の20%を上回っています。作付け品種も消費者の嗜好にあったコシヒカリなどが拡大してきました。また、田植えや稲刈り作業の委託、農地売買などの所有権を移転のともなわない農業経営の委託も進んできています。 |
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![]() ![]() 坂井町東部 福井新聞社提供 |