8 人絹から合繊へ(2)
 新鋭染色加工工場(福井市新田塚)
 ▲新鋭染色加工工場(福井市新田塚)
 1960年代に入ると、染色加工工程の連続化・量産化、加工品種の多様化が一段と進ん
 だ。福井精練加工では、61年(昭和36)に新鋭設備を備えたベンベルグデシン加工専門
 の新田第一工場が稼動し、さらに第二、第三、第五と新鋭量産工場が建設された。
                                   福井市 セーレン株式会社提供
  福井駅に到着した集団就職者
  ▲福井駅に到着した集団就職者
  1950年代後半から中卒女子労働力の著しい不足に直
  面 した福井県の繊維産業では、九州・東北・北海道を
  中心に県外からの集団就職者の開拓につとめた。60年
  代前半には毎年1,000人前後が県内の企業に集団就職
  し、寄宿舎や定時制高校などの整備も進んだ。
                          福井新聞社提供
◆系列化と賃織
 人絹糸メーカーの原糸供給経路の固定化という意味での系列は、戦前においても帝人−広撚−広撚傘下の機屋、日レ−酒伊商事−酒伊商事傘下の機屋といった具合に存在していた。しかし、戦後になって系列化が急速に進行した背景には、糸・織物の取引に賃織契約とよばれる取引方法が急速に普及したことがある。すなわち、原糸メーカーと特約関係を結んだ商社が、機屋に対して糸を提供し、製品を引き取る代価として製織工賃の支払を約束する取引がこれである。産地の機屋は戦後慢性的な資金不足と原糸調達の困難に直面していたため、賃織取引に応じざるをえなかった。
 こうした賃織取引を通じた系列化は全国的に進行し、隣県の石川産地においてもみられたが、福井と石川の系列化はやや様相が異なっている。石川では、岸商事、一村商事といった産元商社が原糸メーカーと特約関係を結びつつ原糸取引の主要な部分を把握した。これに対し、福井では、丸紅、伊藤忠、蝶理、日綿といった県外貿易商社が取引の中心的存在になり、産元商社のシェアは低かった。

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