7 高速交通網の整備(1)
 戦後交通の最も特徴的な変化は、それまで貨物・旅客ともに独占的地位にあった鉄道交通が、さまざまな技術革新にもかかわらずその比重をさげ、かわって自動車交通が飛躍的に増加したことでしょう。

 まず鉄道をみますと、北陸線の輸送量は北陸・東北地方の産業復興によって、1950年(昭和25)から55年の5年間に3倍以上にも増加し、単線で、長い急勾配区間をもつ従来の路線の輸送能力は限界にきていました。このため、戦争により中断していた滋賀県境の深坂トンネル経由の工事が再開されました。この新線は57年10月に完成し、米原・敦賀間が交流電化されました。

 さらに敦賀・今庄間では、57年11月、13.87キロメートル(当時日本最長)の北陸トンネルの工事が開始されました。全面掘削機などの最新鋭機が導入され、62年6月に北陸トンネル経由の新線が開通、敦賀・福井間が電化されました。距離短縮や勾配の緩和によって、電気機関車1両で1000トンの輸送が可能となり、福井・大阪間は3時間で結ばれることになりました。

 また、運輸省の「一県一空港」の方針にそって計画された福井空港は、66年7月に1200メートルの滑走路をもつプロペラ機専用の空港として坂井郡春江町に開港しました。同時に全日空の福井・東京間1日1便が就航しました。同時に全日空の福井・東京間1日1便が就航しましたが、主流となりつつあったジェット機に対応できなかったことや第1次石油危機後の利用客の激減によって、76年3月には休航となってしまいました。
  北陸トンネルの開通(1962年)
  ▲北陸トンネルの開通(1962年)
  6月10日、敦賀口から北陸トンネルに入る祝賀列車。
                                    敦賀市 今立 汎氏提供
  湖西線開業記念の入場券
  ▲湖西線開業記念の入場券
  湖西線は、京阪神と北陸地方を結ぶ短縮ルートとして1974年(昭和49)7月20日に
  開通した。翌年3月から、「雷鳥」をはじめとした特急は同線経由となった。
                                      敦賀市 田中完一氏蔵

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