5 奥越電源開発(1)
 1950年(昭和25)5月に「国土総合開発法」が制定されると、各府県は相次いで治山・治水・電源開発といった河川総合開発を基幹とする地域開発計画を立案します。福井県でも、8月に政府に提出された「福井県総合開発計画調書」で小幡治和知事の重点政策として農地乾田化と電力開発が掲げられ、これを実現するために九頭竜川水域の総合開発事業の実施がうたわれました。

 こうした河川開発を求める各地の声は、51年の「電気事業再編成」後の大規模電源開発を進める動きと同調し、1950年代の地域開発は、多目的ダムの採用による電源開発を主とした水資源開発ブームに彩られることになります。県下各地でもダム建設候補地の調査が進められ、丸岡町の龍ケ鼻ダム、今庄町の広野ダム、清水町の滝波ダムなど現在供用中のダムや、建設をめぐり係争となっている美山町の足羽川ダムをふくめ、大部分のダム建設計画がこの時期に立案されました。

 こうしたダム建設事業のなかで、最も代表的なものは、昭和30年代に大野郡西谷村および和泉村の真名川・九頭竜川本川で行われた「奥越電源開発」でしょう。

 まず、1953年度に建設省補助事業として採択になった真名川総合開発事業は、総工費約50億円で、すべてを起債と国庫補助に依存することにより、真名川上流に笹生川・雲川の両ダムを建設し、洪水調節、灌漑用水補給などとともに県営中島発電所に導水して最大1万8000キロワットの発電を行う4か年の事業計画でした。しかし、政府の緊縮予算編成と水没地区住民に対する補償交渉の難航のため、本格的な着工が遅れ、ようやく57年に2つのダムの完成と北陸電力への送電の開始をみることになりました。

 九頭竜ダムのたん水式(1967年12月)
 ▲九頭竜ダムのたん水式(1967年12月)
                       電源開発株式会社提供
 九頭竜ダム(1976年)
 ▲九頭竜ダム(1976年8月)      電源開発株式会社提供
ダム建設前の和泉村長野地区 ダム建設前の和泉村長野地区
   電源開発株式会社提供

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