2 福井震災(2) | |
![]() ▲震災後の福井市内 福井駅前通りを西方にみる。崩れかかった大和デパートの映像は、「福井大地震」の象徴的映像として全 国に配信された。デパート手前の建物は、現在の中央信託銀行福井支店である。 ジェームス・原谷氏撮影 朝日新聞社提供 |
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福井軍政部は、こうした救援活動のなかでも労働組合や左翼勢力による活動を政治的なせん動とみなして厳しく取り締まりました。また県と福井市が災害後の秩序維持を目的とした条例を制定すると、この条例を強く支持しました。 政府は、震災の翌日中央災害救助対策会議を開き、薬品・建築資材・衣料品などの物資放出を決定するとともに、政府代表を福井県に派遣しました。県では震災1か月後の水害をも含めた復旧財源を強く政府に求め、国庫支出や復興金融金庫からの融資を獲得することができました。また福井市では、震災直前に策定された戦災復興都市計画が、これを契機に急速な事業の進展をみることとなりました。 |
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![]() ▲国立金沢病院医療救護団の活動 被害の著しい坂井郡内の各町と福井市には、震災後間もなく他府県からの 医療救護団が到着し、役場・寺院・学校などで負傷者の手当を行った。この ほかにも京都府立医科大学や日本赤十字社などの活躍があった。 ![]() 福井軍政部は県庁構内に本部を設置し、災害直後から重傷者の運搬 や飲料水の確保、伝染病予防などに尽力した。他方罹災農村を巡視し、 米の供出に支障がないよう農村復旧を指導した。 ジェームス・原谷氏撮影 朝日新聞社提供 |