21 戦争への動員(1)
 1931年(昭和6)9月18日夜の満州事変の勃発は、翌朝のラジオ体操を中断した臨時ニュースで、国民に知らされました。おりしも県会議員選挙投票日をひかえて、それまで選挙中心の記事を掲載していた『福井新聞』も、紙面の大半が戦争報道で占められるようになりました。

 わずか5日後には、福井市で大阪朝日新聞社による「満州事変映画」が上映され、生々しい戦地の映像が伝えられました。さらに翌年1月末におこった上海事変では、県下の第36連隊・第19連隊が出動していたこともあり、戦況を伝える映画は、郡部の村むらでも広く上映されました。普及し始めたばかりのラジオや発声映画を利用したこうした戦勝報道は、戦争支持熱を一気に高揚させることになりました。

 各地で愛国婦人会や在郷軍人会などによる慰問袋の送出や軍事費・兵器の献納運動が行われました。軍への献金は、行政機構を利用した、なかば強制的なものでしたが、恐慌下での集金は厳しく、32年4月、ようやく飛行機「若越号」と高射砲「福井号」が献納されました。

 「国民精神総動員」の横断幕を掲げた県庁(1939年)
 ▲「国民精神総動員」の横断幕を掲げた県庁(1939年)
                                福井市立郷土歴史博物館蔵
 献納飛行機愛国14号(若越号)の絵はがき
 ▲献納飛行機愛国14号(若越号)の絵はがき
 1932年(昭和7)に群馬県から始まった飛行機献納運動は、各府県で競って
 取り組まれ、福井県の献納は石川県についで全国で14番目のものであった。
                                  松岡町 筧 紀夫氏蔵

ラジオ受信機 ラジオ受信機  福井県立博物館蔵

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