21 戦争への動員(2) | ||
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▲国債募集のリーフレット(1939年) ▲県会議員選挙の貼り紙(1939年) ▲納税報国の貼り紙 今立町 西庄境区蔵 今立町 西庄境区蔵 福井県立博物館蔵 |
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さらに37年7月の盧溝橋事件が日中全面戦争に拡大すると、ながびく戦争を支えるために国民精神総動員運動が開始されました。知事を会長とした県実践委員会には、従来の官製運動をはるかにこえる規模で県下の有力者が組織されました。日本精神の昂揚、銃後後援の強化徹底などが運動目標とされ、特定の週や日(生活刷新・精神作興強調週間、教育強調日など)を設けて、各地で講演会・映画会が開かれました。大量のポスター、パンフレットや貼り紙が県民に配布され、戦争遂行のためのキャンペーンが繰りひろげられました。 しかし、こうした画一的な行政主導の運動では、県民の危機感を維持することはできず、まもなく県実践委員会や県会でも、一般家庭にはなんら浸透していないという批判がみられるようになりました。 こうした批判に対応するため、また何より戦争が長期化して運動の重点が農業生産増強・貯蓄報国などの経済的な側面に移ってくると、市町村を補完する末端組織として、町内会・部落会(区)を整備することが不可欠となっていきました。40年3月からは、毎月、区で協議すべき事項例が、『福井県総動員時報』(12月から『福井県常会時報』)で指示されました。 |
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![]() ▲紙芝居による宣伝 敦賀市 奥井光子氏蔵 |
![]() 県下では、1930年(昭和5)4月の金沢放送局の開局によっ て福井市内でも低廉な受信機で放送を聴くことができるよ うになった。福井放送局(JOFG)は、33年7月13日開局。 10月の陸軍特別大演習の模様は、飛行機・自動車・騎馬 による中継班によって全国へ中継された。 福井市立郷土歴史博物館蔵 |