15 対岸貿易港・敦賀(2) | |
![]() ![]() 日露戦争の後、日本は敦賀とウラジオストク間を 定期航路で結び、シベリア鉄道を介してヨーロッパ までを連絡するという国際連絡運輸を計画する。こ うして1912年(明治45)6月には新橋・金ケ崎間に寝 台車を連結した国際列車が走ることになった。以来 41年の独ソ開戦までの約30年間、敦賀はヨーロッパ への玄関口として機能する。 敦賀市 立木康弘氏蔵 |
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![]() ![]() 第2期の修築工事は、1922年(大正11)9月着工し32年 (昭和7)3月に竣工した。絵はがきはこれを記念して発 行されたもの。18年に朝鮮北部定期航路が開かれたこ とから、敦賀港は「満蒙・北鮮」への最短路だとアピール している。 福井県立博物館蔵 |
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![]() ▲敦賀港絵図 (1932年) 敦賀港を中心におもに朝鮮半島への航路を俯瞰する。対岸には清津・雄基・浦塩斯徳、北方には小樽・函館、西方には下関・門司の各地名が みえる。 敦賀市立博物館蔵 |