16 福井の米騒動(1)
 第1次世界大戦の大戦景気に支えられ、日本経済は1915年(大正4)後半から20年にかけ空前の好況期を迎えました。しかし、これには激しい物価上昇をともなっていたため、賃上げを求める労働争議が福井県でもおこりました。18年1月には福井市内で製材職工約70人の労働団体が、斎木重一を会長として組織されました。この組織が昭和戦前期の県下労働運動をリードした「福井県労働同志会」の母体となります。

 このほか17年秋には、福井市中央部の監獄跡地に精練工場を建設する計画に対して、宝永区などの隣接町内会が、工場建設反対の「市民大会」を頻繁に開き、その計画を中止させました。大正デモクラシーの潮流は、人口6万人の地方都市にも確実に押し寄せていたのでした。

 17年秋から、都市労働者の急速な増加に米の供給が追いつかず、米価はじりじりと上昇していました。それに7月のシベリア出兵の政府声明が、米の買占めに拍車をかけ、米価はいっそう激しく上昇しました。そして8月初め、富山県の漁村の女性たちが港での米の積出しを実力で止めようとした事件が、新聞で全国に報じられると、米騒動は全国各地に拡大しました。43道府県の38市・153町・177村で暴動がおこり、のべ10万人の軍隊が出動する事態となりました。

 福井市でも6月末から8月上旬のわずか1か月半の間に白米1升が33銭から50銭近くにまで急騰しました。一方では米の買占めを行ったとして、米穀商が警察に召喚される記事がしばしば新聞に報じられ、市民の不満は高まりました。ついに8月13日の夜から翌日未明にかけて、福井市で米騒動がおこりました。
『福井日報』(1918年8月15日)
▲『福井日報』
         東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
  米廉売に関する今立郡岡本村の役場文書
  ▲米廉売に関する今立郡岡本村の役場文書
  福井市で米騒動がおこると、ほぼ県下全域で内地米と外米あわせて1万
  7000石にのぼる施米や米の廉売が実施された。この資金として、18万円
  の寄付金、3万円の恩賜金のほか国費、地方費あわせ、総額22万円が
  投じられた。この額は、この年の県歳出195万円の1割を上回る。
                                   今立町立図書館蔵

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