14 輸出羽二重業の躍進(2)
 明治30年代末になると、フランス・アメリカの保護貿易主義の高まりなどを背景に、日本の羽二重輸出は停滞基調となります。その打開の切り札は、力織機の導入でした。福井県では、1902年に設置された県工業試験場で輸入・国産力織機による試織を行い、普及の素地づくりに努めました。そして、09年から力織機への転換が急速に進みます。これは動力として電力が採用され、電力供給の拡大と電動力織機の普及とが相乗効果をともなって進んだからでした。

 福井県の電気事業は1899年の足羽郡酒生村の京都電灯福井支社宿布水力発電所の竣工に始まりますが、同社は1908年に大野郡北谷村中尾、11年には足羽郡下宇坂村小和清水に水力発電所を新設し、配電区域を拡張しました。09年には今立郡上池田村持越に水力発電所を設置した越前電気が配電を開始し、この2社が県内の主要羽二重産地の電力供給をカバーすることになります。

 電動力織機の採用は、おりからの大戦景気のなかで急速に進みました。また縮緬・絹紬などの新規織物分野の開拓もあり、福井県の絹織物生産額は1919(大正8)年にピークを迎えます。
会社別電力供給戸数(1908〜26年)
 ▲ 会社別電力供給戸数(1908〜26年)
 1920、22年は数値が欠けている。『電気事業要覧』による。
          ▼嶺北地域の会社別電力供給区域(1919年)
嶺北地域の会社別電力供給区域(1919年)

関西府県連合共進会に出品した福井県の羽二重(1909年)   関西府県連合共進会に出品
   した福井県の羽二重(1909年)
 1909年(明治42)4月、名古屋市で関西府
 県連合共進会が開催され、福井県絹織
 物同業組合から多くの組合員が出品す
 ると同時に、即売 店を開設し、好評を博
 した。翌年には福井県物産館で第2回福
 井県重要物産共進会が、福井市会議事
 堂で同業組合主催北陸3県絹織物大会
 が開催されるなど、組合は県産織物の
 販路拡張に努めた。
 『関西府県連合共進会出品陳列意匠写
 真帖』 (第10回)
         東京都国立国会図書舘蔵

←前ページ→次テーマ目次