8 日清・日露戦争と県民(1)
 19世紀末から20世紀にかけての10年間に日本は、2つの大きな戦争を体験します。日清・日露戦争は、従軍・徴発という戦争への直接的な参加を通して、いやおうなく県民に「忠君愛国」を浸透させたと同時に、日常生活においても「国家」を意識させるものでした。

 日清戦争(1894〜95年)では、6月初めに朝鮮への派兵が閣議決定されると、義勇軍への志願が全国的に広がりました。福井県でも「報国会」会員160人が従軍を切願する集会を開いていました。義勇軍結成は、宣戦布告(8月1日)後まもなく勅令で禁止されましたが、その後は献金や梅干・綿布などの献納が相次いで行われました。

 9月17日の黄海海戦で日本軍が勝つと、勝利は確実なものになりました。下旬には、福井市で戦勝祝賀会がもたれ、県内町部でも同様な祝宴が開かれました。商店の軒先には国旗や「紅灯」が飾られ、祝宴の会場となった旧城内の入り口には大国旗を交差した大緑門(アーチ)が作られました。ここでは知事や福井大隊区司令官とともに4000人の市民が参加して、熱狂的な祝宴が催されました。さらに加賀屋座、照手座、曙座などの町部の劇場で開かれた戦況を伝える幻灯会は、講和後には日本赤十字社福井支部員や有志によって近隣の村むらでも開かれ、多くの人びとを集めました。



日露戦争「二竜山攻撃」図(1908年)  日露戦争
 「二竜山攻撃」図(1908年)
 旅順攻囲戦のさいの二竜山
 攻撃の場面が描かれた絵
 馬。夢楽洞万司筆。
     福井市 賀宝神社蔵
 

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