3 越前自由民権運動(1)
 1874年(明治7)の板垣退助、由利公正らによる民撰議院設立建白書提出に始まった自由民権運動は、77年の西南戦争をへて、言論の力によって国会開設・地租軽減・条約改正などを政府に求めていく運動となり、農民や商工業者を吸収して全国的な広がりをみせました。

 78年、再興愛国社大会に参加し民権政社結成の使命をおびて帰郷した杉田定一は、翌年、坂井郡波寄村の自宅を改造して在郷子弟の学習結社「自郷学舎」を設立し、やがてこれを基盤に民権政社「自郷社」を結成しました。そして、前年から続けられていた地租軽減運動を指導し、これを地租改正再調査という勝利に導くなかで、地主層の政治的関心を高めました。

 杉田は、このエネルギーを79年の愛国社大会を契機に展開された国会開設請願運動に連結し、地主層だけでなく、士族層や商工業者にも働きかけた結果、80年11月までに7041人の国会開設願望同意者の署名を集めるという成果をあげました。
 
  杉田定一
  ▲杉田定一
  坂井郡波寄村の豪農杉田仙十郎の子。
  親子ともに越前の地租改正反対運動、
  国会開設運動に尽力した。第1回衆議
  院議員選挙に当選、1906年(明治39)
  衆議員議長、08年立憲政友会幹事長
  などを歴任した。

自郷学舎生徒の筆記帳1
 ▲自郷学舎生徒の筆記帳
 自郷学舎には地元坂井郡の地主やその子弟が集まり、生徒は、49か村79人を数えた。
 このほかに福岡県など県外の士族が加わり民権思想の学習が行われた。
                                          福井県立博物館蔵
自郷学舎生徒の筆記帳2

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