32 福井城下の町絵師・夢楽洞万司(4)
◆「まんし天神」       「まんし天神」
      ▲ 「まんし天神」             福井県立博物館蔵
 「まんし天神」には、上半身ばかりを大きく描く「大首絵」の作品が多い。寛政期(1789〜1800年)に流布した写楽・歌麿の浮世絵(役者絵・美人画)に使われた、斬新な手法を取り入れているのである。これは似顔絵を描くための手法でもあった。

 そうなると、天神のモデルは誰かということが問題となる。うがった見方をすれば、大宗匠として名をはせた初代「万司仙人」であったということもできる。2代万司が先代を天神に見立てて、奇想天外な作品を創作したという解釈である。

 なお、「まんし天神」の種類には、顔の向きが真正面向きと左前方向きの2タイプがあり、それぞれ老・若の面相に平静・にらみの形相を組み合わせた何通りかがある。またこれ以外に、牛乗天神・台座天神などの全身像を描いたものもある。

 多くが紙本に描かれおり、天神が右手の小指を起てている点がじつにユニークである。
      
       夢楽洞絵馬「馬図」
      夢楽洞絵馬でもっとも一般的な「馬図」。
      馬の構図は、2代万司の時期に定型化す
      る。上は、1822年(文政5)に奉納された絵
      馬で、画面左に「女同行九人」の墨書があ
      る。下は、25年(文政8)に奉納された絵馬
      で、画面右に「伊勢参宮」の墨書がある。
      いずれも、旅からの帰還を記念して奉納
      されたものとみられる。
             (上)松岡町湯谷 神明神社蔵
             (下)福井市大年 西側神社蔵
  夢楽洞絵馬「馬図」
  夢楽洞絵馬「馬図」

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