31 旅と民衆(2) | |
また、祈願を目的として行った四国八十八か所巡礼や、全国各地の寺社仏閣を回る日本廻国六十六部などもありました。前者の場合の理由には、たとえば「極困窮ニ付西国順礼ニ罷出申度」とか「病身ニ付家業難相勤」などがありました。 このほかに実務的な旅として、いくつかの藩領にまたがる大きな訴訟の場合に江戸まで出向いたり、医学を習得するために長崎や大坂へ行ったり、出稼ぎに江戸・大坂・京都などへ行くこともありました。 |
![]() ▲愛発山 「敦賀十勝」のうち、敦賀と近江の間にある愛発山を越える 旅人を描いたもの。峠は難所であり、とくに雪国での冬の峠 越えは厳しいものがあった。 敦賀市立博物館蔵 |
![]() ▲浪花講宿帳 商いのため全国各地へ行くことが多かった商人たちは、このような講に加入して、 安心して宿泊できる宿を利用した。加入者には鑑札が渡されていた。浪花講は大坂 商人が組織したものであるが、蝦夷地方面に商いに行くことが多かった敦賀の商人 が組織したものには「松前千島講」があった。いずれも全国の主要な町の宿が加入 していた。 福井県立博物館蔵 |