25 火災と防火(2)
おもな町の大火による焼失家数    おもな町の大火による焼失家数
  同一年に2度おこった場合は区別して
  表記した。
   拡大図 40KB







 強風のなかでおこった火事では、手がつけられず町中を焼きつくすこともありました。延焼を防ぐため、町では火除地が作られました。福井城下では、1659年(万治2)の大火後に寺院の移転があり、69年の大火後は城郭南東部の百間堀に面した侍屋敷を移転させ、跡地を菜園地とし火除地化しています。大野町では1775年の大火後、火除地とするため対象の住民に対して代替地に引越しするようにという「引地」が命じられました。小浜城下には、1640年(寛永17)から西津漁師町と西津の侍屋敷の間に30間の火除地が設けられていましたが、小浜町にはありませんでした。このため幕末に相次いでおこった大火後、町のほぼ中央にあたる広小路に堀川を開削しています。

 大火は町方のみで発生したわけではなく、風や家屋の密集の度合いにより、村方でもおこりました。たとえば、1857年(安政4)4月8日の昼から夕方にかけて、坂井郡加戸村では家156軒・寺3などを焼く大火がおこっています。
1857年(安政5年)の小浜大火
▲1857年(安政5)の小浜大火
×印は火元で、赤色の部分は延焼区域を示す。8月29日の夜中に発した火は強い北風にあおられ燃え広がった。翌朝にようやく鎮火し、家1805軒と蔵70か所余りを焼失した。この大火後、新たに開削された堀川が、図中央の青色の部分である。

小浜西津に設けられた火除畑  小浜西津に設けられた火除畑
 「西津村古図」  京都大学文学部蔵

←前ページ→次テーマ目次