21 越前の和紙(1)
 今立郡五箇(大滝・岩本・定友・不老・新在家)の村むらは、古代から続く和紙の産地として知られています。戦国時代には京都にのぼる僧侶たちは、越前からの土産に鳥子紙を持っていったそうです。1573年(天正1)になると奉書紙の名が出てきますが、江戸時代にはこれが五箇の紙をいっそう有名にしました。奉書紙は真白なしわのない上質の紙のことで、越前奉書とよばれて全国で喜ばれました。江戸時代後半の『経済要録』という書物には、奉書は「五ケ村ヲ以テ日本第一とす」と書かれています。

 和紙の生産や販売にたずさわる紙屋たちの中心となっていたのは大滝村の三田村氏です。戦国時代、三田村氏の先祖道西掃部(大滝掃部)は、室町幕府から紙の仕事を許されたそうです。江戸時代の初め、福井藩は三田村掃部に奉書紙職を命じ、1678年(延宝6)には同じ五箇の内の近江、山城、河内を加えた4人に品質管理と販売の取締りをさせました。さらに99年(元禄12)には岩本村に紙会所を建て、ここで生産や販売のすべてを扱うよう命じ、運上金という税の取立ても行うようにします。専売制とよばれる制度です。

 このように越前奉書は福井藩の強い統制をうけましたが、その技術はますます向上し、すぐれた製品がたくさん生まれました。種類だけをあげても、五色奉書・浅黄小奉書・紺小奉書・五色縮緬奉書・打曇奉書・墨流奉書・縮奉書・大湊奉書・絵奉書などがあります。もちろん、鳥子紙もおとらず生産されました。鳥子紙は卵の黄身のようになめらかで、破れにくい紙をいい、種類も豊富です。
    御用紙の荷物絵符
  ▲御用紙の荷物絵符
  幕府や各大名・公家など
  へ注文の紙を運送すると
  きに、荷物に付けたもの。
  今立町 和紙の里会館蔵
  『紙漉きの図』 「紙を漉く図」  
  ▲『紙漉きの図』 「紙を漉く図」
『紙漉きの図』 「黒皮を揉敷の図」
▲『紙漉きの図』 「黒皮を揉敷の図」
三椏の花
▲三椏の花
和紙の原料の1つである。
   結城秀康黒印状(折紙)
   ▲結城秀康黒印状(折紙)
   1601年(慶長6)福井初代藩主結城秀康が三田村掃部に与えたもので、「前々の如く」奉書紙職
   の商売を免許すると記している。                       今立町歴史民俗資料館蔵 

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