19 藩財政とその窮乏(2) | |||||
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▲各藩藩札 江戸時代、諸藩は財政収入を確保するため藩札を幕府の許可のもとに発行した。なかでも、1661年(寛文1)に福井藩が出した藩札は 江戸時代最初のものとして著名である。 福井市 福井銀行資料館蔵 |
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福井藩では17世紀半ばに借知が始まり、その後もしばしば実施され、江戸時代の後期には恒常的なものとなっていきました。小浜藩でも17世紀の後半には同様の事態に陥っています。 借財については、小浜藩では、1770年(明和7)11万両、95年(寛政7)には24万両、1828年(文政11)には30万両とも40万両ともいわれ、71年(明治4)には38万両に達しました。ちなみに、福井藩では1836年(天保7)90万両、大野藩では33年9万両、鯖江藩では58(安政5)年18万両にのぼっています。 御用金には、返済を約束されたものと上げきりのものがありましたが、返済を約束されたものでもしばしば返済されませんでした。福井藩の御用金は1699年(元禄12)に、小浜藩では97年に始まり、波はあるものの連年のごとく賦課されています。 福井藩では、99年に和紙、1790年に菜種、1822年に藍玉の専売制が始まっています。他の藩でも同様に領内の特産物を中心に専売制が実施されましたが、領民の反対にあうなど、しばしば中断、廃止されました。 |
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![]() ![]() 御用金は、主に江戸城普請・江戸藩邸普 請にさいして賦課されたが、1743年(寛保3 )の6万5000両の御用金は日光修復のため のものである。また才覚金は藩の財政運 用のために賦課されたものである。1704年 (宝永1)、11年(正徳1)、1802年(享和2)は 1年に2回賦課されている。 |