5 城郭の建設(2)
 大野城も1575年に金森長近により亀山に築かれた平山城で、麓には東西・南北ともに6本の街路で短冊型に区画された城下も建設されました。大野城に関しては、小浜城と同様に、城郭の修復願絵図が多く伝存しています。これは、城郭が破損した場合に幕府に断らず勝手に修理することが禁止されていたため、修復を願い出るさいに提出されたものです。1810年(文化7)に修復にあたった職人の名を刻んだ石垣石も伝存しています。
     越前大野城石垣石
      ▲越前大野城石垣石
      大野城の外堀から出土した石垣の石である。
      刻まれた文字から、1810年(文化7)の石垣
      修復のときのものである。御用掛・吟味役・奉
      行など武士の名前とともに、工事に参加した
      庶民の名前も刻まれている。
                        越前大野城蔵
     
     「越前国大野城破損之覚絵図」
     ▲「越前国大野城石垣破損之覚絵図」
     1810年(文化7)に石垣が40か所にわたって破
     損したさい、修復を願い出るために作成された
     絵図である。城内の石垣や堀、柵のようすがよ
     くわかる。              越前大野城蔵

 小浜城は、北川・南川の両河川と小浜湾を防御に利用した水城です。1600年(慶長5)に小浜藩主となった京極高次が、後瀬山上の山城と麓の居館を捨て築城を開始しました。酒井氏に替わった後も工事は続けられ、45年(正保2)にようやく完成しました。1803年(享和3)ころの絵図にその姿を見ることができます。
  「小浜絵図屏風」
  ▲小浜絵図屏風
  小浜を中心にほぼ遠敷郡全体を描いた、1803年(享和3)
  ころのものと思われる6曲1双の屏風の一部である。小浜
  城内の諸建造物をほぼ正確に景観図的に描写している。
  この城は堀が砂で埋まることが多く、幕府に対してたびた
  び堀の修復を願い出ている。本図の海に面している箇所
  の砂浜の描写からもそれがうかがえる。
                       小浜市 田中佳信氏蔵
   小浜城下絵図
   ▲小浜城下絵図
   1643年(寛永20)ころの絵図である。北川・南川を堀に利用した水城
   としての小浜城のようすがよくわかる。城の北に西津、南東に竹原の
   侍町があった。町人町は竹原からさらに堀を隔てたところにある。
   このころは城内にも舟入があったことがわかる。
                         酒井家文庫 小浜市立図書館蔵

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