4  城下町のかたち(2)

「越前国丸岡城之絵図」    

     越前・若狭の城下町
     ▲越前・若狭の城下町 拡大図 10KB















  「越前国丸岡城之絵図」
 幕府の命で、1647年(正保4)ころに作成された
 正保城絵図である。当時の領知高は4万3000石
 であった。五角形の堀をもつ城の周囲に侍町が
 あり、その南側に町人町があった。町人町も郭
 の内にふくまれる総郭型の城下町で、堀のない
 南西部は寺町とその外側の深田が防御の役目
 を果たしていた。
         東京都 国立公文書館内閣文庫蔵
福井城下絵図」▲福井城下絵図
1725年(享保10)国目付に提出する目的で作成された絵図である。当時の領知高は30万石であっ
た。土地利用で色分けされているので、城と侍町を堀で囲む典型的な町屋郭外型の城下町である
ことがよくわかる。町人町の外側の侍屋敷は足軽などの居住地であり、周辺部にみられる寺院の
集中した地区とともに防御の役目を果たしている。
                              松平文庫 松平宗紀氏蔵 福井県立図書館保管
福井の空中写真
 ▲福井の空中写真
 空中写真は1975年(昭和50)のものである。福井は45年
 の戦災、48年の震災と2度にわたって被害を受けた。そ
 れ以後の都市計画で、城下町時代の道路の多くは直線
 化され拡幅されたことが、絵図と比較することでよくわか
 る。現在の市街地は旧城下町の範囲を大きくこえて広が
 っている。              建設省国土地理院提供

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