12 越前・若狭と周辺地域(2)
 『人国記』が三方郡は近江の風俗と共通すると指摘しているように、若狭は近江とのつながりを強くもっていました。三方郡・遠敷郡には延暦寺や園城寺の荘園が多く、延暦寺・日吉社の寺僧・神人が他国にもまして活動していました。小浜着岸の諸国年貢や若狭の年貢は九里半街道を経て木津・今津に運ばれ、またこの地の商人である五箇商人が小浜をめざしました。室町初期に一色氏のもとで税所代を務めたことのある遠敷郡野木の能世(片山)氏は、武士というより金融商人であり、熱心な密教信者でしたが、1477年(文明9)に能世正次が近江今津の三郎左衛門に40貫文を貸し付けており、また、16世紀前半に能世助次は近江今津近くの酒波寺の大般若経を丹後の観音寺に寄進しているので、能世氏の活動の基盤の一つが今津にあったことが推定できます。若狭と近江とはこのように商業的なつながりが強いのですが、そのほか若狭の宮座には近江と共通する部分が多く、また近江で用いられていた田積単位の「畝」も、三方郡で戦国期に用いられています。 近江国酒波寺大般若経奥書
▲丹後国観音寺大般若経奥書
遠敷郡野木の土豪の能世政助は、近江酒波寺の大般若経600巻を丹後の
観音寺に寄進した。若狭と近江・丹後の文化的なつながりを示す一史料。
               京都府 観音寺蔵 京都府立丹後郷土資料館提供
秋田実季木像
▲秋田実季木像
実季は、1593年(文禄2)に羽賀寺を再興した。
                         小浜市 羽賀寺蔵
    秋田氏墓塔
    ▲秋田英季墓塔
    英季は秋田実季の弟。出羽国秋田氏の先祖である
    津軽安東(安倍)氏と若狭は、日本海海運を通じて
    関係が深かった。           小浜市 羽賀寺

若狭羽賀寺本堂上葺勧進帳
▲若狭羽賀寺本堂上葺勧進帳
1435年(永享7)3月の失火からの羽賀寺の復興が、「奥州十三湊日之本将軍」安倍康季の援助によりなされたことが記されている。
                                                                                小浜市 羽賀寺蔵

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