11 交通と市町の展開(2)
 交通の発達にともない、経済の発達もみられました。13世紀の中ごろから年貢などを銭で納入する代銭納が広がりはじめ、これと関連して荘民たちは近くの市庭(市場)で商業行為を行い、銭を得るようになってきました。15世紀になると荘官の徴収した荘園年貢の多くは湊町の問商人に売却され、割符(手形・為替)で納入されるようになりました。
 14世紀以降、坂井郡金津の八日市のように定期的に月3回市が開かれる三斎市が現われます。市は街道や河川の要所のみならず、遠敷市・今立郡水落のように寺社の門前に成立する場合や、遠敷郡東市場・足羽三か庄・金津・大野のように郷や荘園の境界の地に立地しているケースもあります。

 また、そうした場所は特定の領主の独占的支配が困難であるという特質をもっていたので、足羽三か庄軽物十人衆商人のように、同業組合である座を形成した商人たちによる自治的な活動が展開する余地がありました。

若狭姫社の門前
▲若狭姫社の門前
遠敷市は遠敷郡若狭姫社の門前にあった。1334年(建武
1)11月に、同郡太良荘の荘民がこの市場で守護代の家
人より銭・絹布などを奪われている。     小浜市遠敷
坂井郡金津
▲坂井郡金津
北陸道と竹田川が交差する金津は、水陸交通の要所であると
ともに、坪江下郷と河口荘溝江郷の境界の地でもあった。
                  市の塔 小浜市 西方寺
                  ▲市の塔
                  この宝篋印塔は、もとは小浜の市場町にあったことから、「市の塔」と
                  よばれている。塔の基礎正面に、沙弥朝阿が1358年(延文3)7月22日
                  にこの塔を建立したことが刻まれている。朝阿は南朝方の小浜代官
                  であった長井雅楽介の入道名と伝える。高さ3m50cm。
                                                   小浜市 西方寺        

←前ページ→次テーマ目次