9 守護大名と国人(2) | |
斯波氏は、1380年(康暦2)までに畠山氏との間で越前・越中の守護職を交換して、再び越前国守護となり、府中の守護所に小守護代を、大野・敦賀両郡には郡代を置いて、越前支配にあたりました。斯波家の「執事」とよばれ守護代であった甲斐将久が守護斯波義敏の補佐役として家中で勢力を強めると、甲斐氏と斯波持種・義敏父子との間に対立が生じました。 一方、堀江氏ら越前国人の荘園所職も、甲斐・織田・朝倉といった斯波重臣によりその多くが支配され、甲斐氏らと国人との間にも対立が深まっていました。1458年(長禄2)、守護義敏と越前国人は甲斐方と合戦を始めましたが、翌年、義敏・国人方は敗れ斯波氏当主の権力は形骸化し国人たちも勢力を失いました。この合戦のなかで甲斐方であった朝倉孝景は、義敏方についた庶子家を排除して惣領家の地歩を固め、足羽・坂井郡を拠点に、守護代の甲斐氏や大野郡の二宮氏を上回るような、大きな勢力に成長してきました。 |
![]() ▲斯波義敏画像 義敏は長禄合戦の後に京都を追われるが、応仁の乱では東軍 として越前で戦った。 武生市 霊泉寺蔵 |
![]() ▲武曾信濃守画像 武曾氏は坂井郡坪江上郷を本拠とした国人。 中央上に「南無妙法蓮華経」、右端に「永禄七 年二月廿七日」の文字がみえる。 金津町 日源寺蔵 |
![]() ▲曹福寺九重塔 「応安四年」の刻銘があり、応安の国一揆に関す るものと伝える。 上中町神谷 |
![]() ▲京都の斯波邸 上京の武衛陣町にあった斯波氏の邸宅。門前で闘鶏が行われてい る。 「上杉本 洛中洛外図屏風」 山形県 米沢市蔵 |