17 紫式部の見た越前(1)
 『源氏物語』の作者として名高い紫式部は、一時越前に住んでいたことがあります。彼女は藤原為時を父に、973年(天延1)ごろ生まれました(970年説、978年説もある)。幼いころ母を失い、父方で育てられたとみられます。父は996年(長徳2)正月に越前守に任じられ、式部は父とともに越前に赴くことになりました。

 『紫式部集』には、旅路の歌と越前で詠んだ歌が収められています。旅路の歌のはじめは、三尾が崎で詠んだ次の歌です。「三尾の海に網引く民のてまもなく立居につけて都恋しも」。三尾は滋賀県高島町ですから、彼女は京を出て逢坂をへて、湖西を通る北陸道(西近江路)を北上したことがわかります。琵琶湖に網を引く漁民の姿を見て早くも、「都恋しも」という気持ちになっています。このあと夕立の記述がみえますから、彼女の越前行きは、夏のことだったと思われます。そしてこの後、塩津に向かいます。 

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 ▲中宮彰子に進講する紫式部
 1008年(寛弘5)の夏ごろ、後一条天皇を妊娠した小袿姿の中宮が、胎教として 正装(裳
 唐衣)の紫式部から「白氏文集」を学んでいる。式部は、父が「おのこごにて侍たらぬこそ
 幸なかりけれ」と惜しむほどの才媛であったので、宮仕えでは他の女房から中傷を受けな
 いよう気をつかった。この進講も内密に行われたが、後で道長にも知られてしまう。
                                    蜂須賀家本 「紫式部日記絵詞」

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