16 利仁将軍と北国武士団(1)
 芥川龍之介の小説『芋粥』の題材になった話が、『今昔物語集』巻26にあります。その主人公藤原利仁は、北国武士団の始祖的な人物ですが、若いころ「一ノ人」(摂関の意、関白藤原基経か)に仕え、敦賀の豪族有仁の婿となり、越前に住んでいました。そして同僚の五位の侍が薯蕷粥(山芋の粥)を飽きるほど食べたいというので、敦賀の家に連れて行き、大量に粥を作らせたところ、五位の侍は見ただけで飽き飽きして食べられなかったという話です。


藤原利仁館跡伝承地
▲藤原利仁館跡伝承地  敦賀市御名

     [準備中] 
武士の館 11世紀後半から12世紀前半の在地 領主(開発領主)は、11世紀以降の 国衙による未開の荒野・空閑地の開 発と荒廃公田の再開発奨励政策の なかで力をのばしてきた。彼らは、本 拠として堀をめぐらした館をかまえた。 この絵巻物は、14世紀初めのものだが、板敷で縁をめぐらした建物のまわ りを矢倉のある板塀や堀でかこみ侵入 にそなえる武家造の館をよく表している。
 「一遍上人絵伝」
           神奈川県 清浄光寺蔵


 利仁は『尊卑分脈』によると、鎮守府将軍藤原時長を父に、越前の人秦豊国の娘を母にもち、上野介・上総介・武蔵守など東国の国司を歴任し、915年(延喜15)鎮守府将軍になりました。2代続けて鎮守府将軍を務めた、武士的性格をもつ下級貴族でした。彼の活躍時期は9世紀後半から10世紀初頭のころです。一方、下野の群盗数千を鎮圧したと伝えられ、さらに9世紀なかばの文徳天皇の時に征新羅将軍になったものの、新羅側の調伏のため頓死したなどという、史実ではない説話も『今昔物語集』巻14にはあります。彼の経歴には不明な点が多く、その実像は霞に包まれています。 

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