1 変わる縄文時代像(1)
 1980年 (昭和55) に石川県の新保チカモリ遺跡で発見された環状巨大木柱列は、その後各地で発見され、94年(平成6)には青森県の三内丸山遺跡で巨大掘立柱建物群や盛り土遺構をふくむ、大規模な集落跡が発見されるなど新しい発見が相次ぎ、現在も刻々と縄文時代像は真実に向けてダイナミックに変化しています。
 この縄文時代像の変化の始まりとなったのは、縄文前期(約6500〜5000年前)を主とした三方町の鳥浜貝塚の、1962年から86年の発掘調査でした。
 この三方湖畔の優良な低湿地遺跡は、残りにくい有機質の遺物を多数出土し、当時の生活のようすが復元できる「縄文人のタイムカプセル」とよばれました。狩猟と採集や原始的な漁にたより、長期の定住はできず文化程度も低いといったそれまでの縄文時代像を、根底から見直していく大きな転換点になりました。
 鳥浜貝塚の遺物のなかには、ゴボウ・アサ・アブラナ・リョクトウ・シソ・コウゾ・漆作りに関連するエゴマなどの種子や、ヒョウタンの種子と果皮があり、これらは野生種ではなく栽培種とみられていますから、縄文前期にはすでに食用のものをふくむ栽培植物があったことがわかりました。日本を原産としないこれらの植物は、大陸からもたらされたのでしょう。
 丸木舟・櫂・弓・石斧の柄・鉢・櫛など、木製の道具の種類や量の豊富さ、高度な製作技術は現代からみても驚くべきものです。さらに、木製品や土器に塗られた赤や黒の漆の技術は、すでに同時期の中国のものよりすぐれています。日本の代表的伝統文化の漆工芸は、その源流は大陸から伝わったのかもしれませんが、少なくとも縄文前期から独自に高度な発展をしてきたものと考えてよいでしょう。
 ほかに、大麻の糸、アカソのアンギン(編布)、ヒノキの細割り材を使った漁網・かごなどがあります。
 湖、海での網を使った漁、かごを使っての山菜や木の実の採集、それに狩猟の生活のなかで、栽培植物も利用して道具や衣類を作り、食用にあて、漆工芸品を作りました。衣服を着て漆塗りの櫛を髪にさし、真珠や骨角や石のアクセサリーで鮮やかに身を飾っていたのです。
 狩猟の時や木製の道具・アクセサリーを作る時に使う石器の石材のなかには、遠隔地でしか産出しないものもあり、土器は他の地方の影響をうけていますから、ほかの集団との広い交易も行っていたことがわかります。
 厳しい自然のなかで定住生活をいとなみ、そのうえこれらの高度な文化をもっていたとは驚きです。鳥浜貝塚に続く新保チカモリ遺跡や、三内丸山遺跡などのより高度な縄文文化への発展の土台は、すでに鳥浜貝塚が代表する縄文前期にはできていたといえるのです。
 めずらしい土器
      ▲めずらしい土器
      ベンガラを塗った丹彩土器(左)は、鳥浜貝塚と同
      時期に京都市の遺跡から出土した土器とよく似て
      いる。高さ10.5cm 斜格子文土器(右)は縄文草創
      期のものでたいへんめずらしい。 高さ12.7cm
                     若狭歴史民俗資料館提供

       (以下、このテーマで表記がないものは同館蔵)
   もじり編みとアンギン(編布)
   ▲いろいろな編み物
   もじり編み                アンギン(編布)
           ヒョウタンの種子と果皮
           ▲ヒョウタンの種子と果皮
   鳥浜貝塚遠景
   ▲鳥浜貝塚遠景
   写真中央の河口と丘陵が接する付近が鳥浜貝塚。湖は三
   方湖。
  
石斧の柄 石斧の柄
木の幹と枝の股を利用している。石器の刃をはめ込めるように
ソケット状に加工しているのがわかる。長さ68cm

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