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 第五章 大正期の産業・経済
   第四節 社会資本の整備
    三 小浜線の敷設
      小浜鉄道株式会社の株主
 明治二十八年(一八九五)十一月の発起人会で、創立委員に選出された一〇人のうち、和田維四郎(委員長)・田中平八・山本直行・田野元次郎・池上仲三郎・岩田作兵衛の六人は東京市に住居を持つ委員であり、組屋・大北・吉岡・衆議院議員小畑岩次郎の四人が地元に住居を持つ委員であった。地元若狭の有志者を運動の実働委員とし、東京在住の発起人が当局対策を担当という構成である。
 二十九年三月と三十年五月の追加出願を加え、最終的には四七人であった。当初二五パーセントであった若狭地方の発起株は、追加発起人として遠敷・三方・大飯三郡の村長階層の有志が加わり三六パーセントとなり、滋賀県の追加発起株を加えると四〇パーセントとなる。
 中央の資金には、酒井忠道、酒井捨吉、佐伯成允、山川一郎、和田維四郎、尚泰、山本直成など、旧小浜藩主酒井家および酒井家につながる華族系統と、岩田作兵衛、田中平八、小野金六、高島嘉右衛門、和泉萬輔などの鉄道資本家および鉄道業に資金を提供する実業家の系統の二系統がみられる。
 三十年一月の小浜支部扱いの確定株主四八七人のうち、若狭地方に限ると、一株株主は約四割で、一〇株以下では七割以上にのぼる。『小浜鉄道株式会社仮定款』には、額面価格は一株五〇円(一株につき五〇銭の証拠金)で、設立の免許下付後一か月以内に五円ずつ払い込むことが記されている。三十年の遠敷郡の農家一戸あたりの収穫米価は九六円余と推定され、一〇株を超える応募は容易でなかった(資17 第118、144表)。資金難と鉄道への期待、郡役所や町村役場を介した勧誘などを背景に、小浜町とその敷設沿線に小株主が多く誕生したのである。



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