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 第五章 大正期の産業・経済
   第四節 社会資本の整備
    二 地方鉄道の敷設
      鯖浦電鉄の敷設
 大正十二年(一九二三)四月に、鯖江町の福島文右衛門らが、今立郡鯖江町・丹生郡四箇浦村間に電気鉄道敷設を計画し、六月、設立を認可された。鯖浦電気鉄道株式会社は、資本金八〇万円、電力は越前電気から供給されることになっていた。この鉄道は、越前海岸地域の魚介物をはじめ丹生郡一帯の農林産物や窯業品、石材、綿織物、畳表などを輸送する産業鉄道的性格とともに、沿線一帯の住民の生活鉄道的性格をあわせもっていた。
 敷設路線は、鯖江駅付近から神明・吉川・朝日・宮崎・織田の各村を経て四箇浦村にいたる計画で、まず織田村織田まで敷設されることになった。十三年八月に、東鯖江・宮崎村佐々生間が起工され、十五年十月一日に六マイルが開業した。新横江村東鯖江駅を起点に、神明・越前平井・川去・西田中・佐々生の各駅が設けられた。神明駅では、武生町と福井市を結ぶ福武電気鉄道と交差した(『福井新聞』大15・9・17)。昭和三年十一月八日には、東鯖江・織田間の一一マイル六〇チェーンが開業し、陶ノ谷・樫津・江波、終点の織田の各駅が設置された。織田から以西には自動車が運行され、大正十五年に開削された山中隧道を通って、約三〇分で四箇浦村梅浦に連絡していた(『鯖浦電気鉄道沿線名所案内』)。開通時の「鯖浦電気鉄道・自動車発着時刻表」によると、東鯖江・織田間に、一日二〇往復が運行され、その所要時間は四七分であった。織田・四箇浦間は、下り一七・上り一八本の自動車が運行され、四箇浦駅を始発の五時二五分に出ると、東鯖江には六時五八分に着くことができ、沿線住民の生活の範囲は大きく広がった(菅原八郎右衛門家文書)。
 昭和四年四月一日、北陸線鯖江駅乗り入れが実現したが、織田・四箇浦村間は、昭和恐慌や自動車事業の進出で実現をみなかった。二十年八月、鯖浦電鉄は、福武電鉄と合併して福井鉄道株式会社となった。



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