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 第五章 大正期の産業・経済
   第三節 銀行合同と商業の発展
    二 商業の発展と再編
      流通機構の再編
 大正九年(一九二〇)の戦後恐慌は、大戦から戦後のブームが多分に投機的性格をもっていたため、その破綻の影響も大きく、貿易・国内商業の両面にわたる流通機構の再編成の契機となった。絹織物輸出で最有力輸出商の地位にあった茂木合名会社が破綻し、多くの邦人輸出商も弱体化して横浜から姿を消し、福井県は大きな打撃をこうむった(『横浜市史』五巻上)。このことは、大戦ブーム期に参入した二流財閥以下の商社の淘汰であり、三井物産など一流財閥の独占体制の成立を告げるものである。福井県機業界は、インド・オーストラリアなど開拓された新市場向け絹織物の開発をはじめ、蚕糸問屋組合と生糸仲次組合の合同、同盟休機などで生き残り策の模索を続けたが、十三年の絹・絹紬生産額は八年当時の二八パーセントに落ち込んでいる(『県統計書』)。羽二重から絹紬への転換についで独占体が製造するレーヨン(人絹)に活路を求めてゆくことになる。
 農村経済は、恐慌以降停滞的な局面を迎えた。すなわち、米価下落は相対的に軽微であったが、反当収量は停滞し(『県統計書』)、市場向け生産の拡大をとおして農業生産が増大する関係はなくなっていった。他方、戦後ブームの崩壊のなかで流通機構の再編がすすみ、米穀問屋や肥料問屋(地主兼営も多い)の中間利潤を排除するための農業倉庫の設置もさかんになった。六年七月公布の農業倉庫法にもとづき、建築費の補助をうけて設置するもので、昭和二年(一九二七)には六六の経営主体が一一二棟の倉庫をもつにいたった(福井県『各農業倉庫業者ノ概要』)。この農業倉庫設置の奨励は、産業組合の共同集荷、保管、出荷および購買事業をさかんにし、化学肥料の独占価格などに農民が団結の力で対抗していく新しい流通組織の萌芽となる。こうして農村における商業活動もしだいに姿を変えていった。



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