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 第五章 大正期の産業・経済
   第一節 農業・水産業の展開
    三 水産業の隆盛
      漁業組合の共同事業
 明治四十三年(一九一〇)四月に漁業法が全面改正され、漁業組合の目的は漁業に関する共同の施設事業を行うこととされた。これによって漁業組合は、従来の単なる漁業権の管理主体から共同事業主体への一歩を踏みだすこととなった。さらに同年十一月公布の「漁業組合令」によって、資金貸付・漁獲物の共同販売・漁具燃料の共同購買などの共同施設事業が奨励、促進されることになった。
写真158 越廼村茱崎漁業組合の共同販売所

写真158 越廼村茱崎漁業組合の共同販売所

 このような法改正は、福井県下の漁業組合にも共同施設事業が実施できるように組合運営の変革をせまった。史料によりその具体的な内容を明らかにできる遠敷郡西津村漁業組合についてみてみよう。明治期の西津村漁業組合の運営の困難な状況は、すでに第三章第一節五で述べたが、同組合は四十五年四月に規約を改正し、出席率の悪い「総会ニ代ルベキ総代会」が設置された。この一五人よりなる総代会に組合予算やその賦課方法、基金の支出などの決議権が付与され、これ以降、組合が機能的に運営できるようになった。また従来の組合員への等級別賦課金の制度を改めて、市場での漁獲売上高の一〇〇分の一を、その都度徴収することによって組合経費を賄うことにした。それとともに同年七月には、組合が魚問屋から漁獲物の売上高の一〇〇分の一・五を受け取り、一万円を目標に組合基金として積み立てる制度が作られた。一万円の目標は計画より一年遅れて大正十二年に達成されるが、この積立基金は組合員の漁船・漁具などの購入資金として貸与されたのである。
 そして翌大正二年二月には再び組合規約が改正され、組合の目的として共同施設事業を行うことが明記された。同年八月には「漁業資金・漁具貸与規程」が設けられ、同年中には一七〇〇円が漁業資金として組合員へ貸し出され、また、翌三年には資金の充実をはかるため日本勧業銀行より一五〇〇円が借り入れられた。同三年には小浜町の問屋に対抗し、組合費徴収の便宜のために、組合員の漁獲物の委託販売を組合が行うことになった。このほか七年に「水難救護規程」を、また十五年には「遭難救恤」を制定し、遭難に際しての相互扶助機能を高めていった。さらに、昭和二年には燃料などの共同購買事業が開始され、このころには西津村漁業組合によってさまざまな共同施設事業が行われるようになった(「西津漁業協同組合文書」上『小浜市史紀要』七)。
 しかし、西津村漁業組合のように多様な共同施設事業を行っていた組合は県下にはそう多くはなかった。これらの事業がもっとも盛んであった大正十四年においても県下の八八漁業組合のうち、なんらかの共同施設事業を行っていたのは二一組合で、全体の四分の一にすぎなかった。二一組合のうち共同販売が一一、共同購買が三、共同貯金が四、物資貸付が一三、遭難救恤が三であり、西津村漁業組合は模範的な事例であったといえよう(資17 第550表)。



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