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 第五章 大正期の産業・経済
   第一節 農業・水産業の展開
    二 地主制の後退
      大地主層の後退
 大正中期から後期にかけての福井県下の大地主層の動向として、貴族院多額納税議員互選者の職業構成や納税額(地租・所得税・営業税)の順位等からも、全国的な趨勢と同じく、彼らの後退過程が如実にうかがわれる。
 表208の大正七年(一九一八)、十四年両年度の互選者の職業構成を比較すると、七年では、農業(一〇人)が圧倒的に多く、納税額についても、地租の一位の者が一一人を数えるなど、地主層の比較的優位な動向をみてとることができる。ところが、七年後の十四年には、農業を職業とするものが三人に激減する。そして七年とは異なり、土木(一人)・織物商(二人)・機業(二人)が新たに加わるなど、上位一五人(互選者の総数は、十四年より上位一〇〇人に改正)の職業構成が著しく多様化し、とりわけ、織物業者の進出が目立つ。

表208 貴族院多額納税議員互選者の職業・納税額の順位

表208 貴族院多額納税議員互選者の職業・納税額の順位
 しかも、納税額についても、地租が一位となるものは皆無となり、所得税・営業税が大きいことにより互選者となるものがふえていた。そして、農業を職業とする地主にしても、所得税額からみて地方銀行はじめ県内外の企業に投資し、かなりの有価証券所持者となっていることが判明する。こうして、七年には一五位内に入っていた大地主の大半が、十四年になると、表208の「農業者の大正十四年の順位」にみるとおり、一五位以下に転落する。事実、全国的にみて、租税収入中に占める地租の比重が、六年(一三・一パーセント)を最後に、翌七年(九・七パーセント)からは一〇パーセントを割り、その後は低下の一途をたどる。一方、所得税は六年を画期に地租を上回り、翌七年以降ますます増加の傾向となることが確認される(『日本経済統計集』)。
 ところで、十三年の福井県下で五〇町歩以上の大地主一五人のうち、十四年の貴族院多額納税議員互選者に該当するのは、五人にすぎず、しかも農業を職業とするものは、山田斂(一四〇・七町)・斉藤与二郎(七九・四町)・久保九兵衛(六六・〇町)の三人を数えるだけであった。
 以上のように、大正期における地主制の後退は、中小地主層はもとより大地主層をも含めて、いよいよ顕在化し、さらに昭和期に入り、「昭和恐慌」の衝撃をうけることにより、「地主的土地所有」そのものの社会構造的な矛盾が一段と尖鋭化するわけである。



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