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 第五章 大正期の産業・経済
   第一節 農業・水産業の展開
    二 地主制の後退
      中小地主層の動向
 大正後期になると、福井県下の地主層の一般的動向として、小作料収入の減退を、自作米の増収でできるだけカバーしようと努力するのが、地主経営の実態から判明する。たとえば、大飯郡青郷村小和田(高浜町)の畠中左近家につき、大正八年(一九一九)と十三年の自作・小作米の収納状況をみると、自作米は、十三年が八年に比べ大幅に増加するが、小作米は逆に減少し、さらに自作・小作両米の合計額も減収となる。
 つまり自作米で、十三年(四〇俵二斗八升)が、八年(二四俵八升)の一・六七倍と増加するのに対し、小作米は、実収で十三年(一〇七俵二升)が、八年(一五〇俵一升)の七一パーセントに減少する。そのため、自作・小作両米の合計額で、十三年(一四七俵三斗)は、八年(一七四俵九升)の八五パーセントにとどまるわけである(畠中左近家文書)。
 このように、地主制がようやく後退過程に入った時期の地主・小作関係のさまざまな問題点は、農商務省の行った各府県の「小作慣行調査」(大正十年)により、明りょうにうかがわれる。『福井県小作慣行調査書』では、とりわけ「小作料」の項目で、「金納」の傾向がふえてきたことと、「低落ノ趨勢ニアリ」と述べ、いずれも小作農に有利な条件を伝える(資11 二―一七)。その点、小作農には、自小作農に上昇する機会に恵まれるわけで、一方、中小地主層のなかには、小作料収入の減退により、いよいよ苦境に立ち向かう者もふえることになる。
 じつは、「足羽郡上文殊村小作慣行調査事項」(大正十一年二月)で、同村西袋の小作慣行調査委員平崎清貫は、「現今ノ地主ハ、県村税等ノ苛税ニ苦ミツヽアルハ、第一ニ米価ノ下落ニ基因スルコトハ明瞭ナルモ、又小作米ヲ増加セザレバ、地主ノ財政ハ収支償ハズシテ、負債ニ負債ヲ嵩ネ、遂ニ大破産ノ窮地ニ陥ラントシツヽアリ、即チ吾ガ農界ノ中産階級タル地主ノ破滅ヲ防ガントスルニハ、小作米増徴実行ヲ絶叫スル所以ナリ」(第一七章)と、県村税が苛酷で、しかも米価の低落のため、小作米を増加しないかぎり、地主経営の採算が成り立たないことを訴える。平崎家は、当地区の標準的な上層農で、大正後期での地主側の窮状を端的に表明したものといえる。
 この点、明治四十五年(一九一二)の遠敷郡内外海村(小浜市)の「小作慣行調査」(資11 二―一九)で、当時の地主制が確立している段階にふさわしく、高率の小作料のもとで、厳重な小作米検査にもかかわらず、小作奨励米を支給しないなど、地主側にはなはだ有利な条件で、地主・小作関係が保持されているのとは、あまりにも対照的である。



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