目次へ 前ページへ 次ページへ


 第五章 大正期の産業・経済
   第一節 農業・水産業の展開
    一 農家経済の起伏
      産業組合の進展
 大正後期からの地主制後退の過程のなかで、協同組織により農家経済の維持・発展をはかる産業組合の福井県下における一般的動向は、表205にみるとおりである。組合数は昭和期に入ると、漸減の傾向であるが、組合員数は、大正十四年(一九二五)より、従来の三万人台から四万人台となる。そして、さらに増加の一途をたどるなど、組合員組織率の向上による「全層組合」化への方向が、ようやく表面化する。

表205 福井県の産業組合の推移

表205 福井県の産業組合の推移
 また、一組合員あたりの出資払込済額(B/A)も、大正後期の三〇円台から、昭和期に入ると四〇円台にふえ、組合事業の活発化する基盤が、醸成されつつあることがうかがわれる。貸付金・貯金がともに増加の傾向をみせ、貯貸率(C/E)では、昭和二年(一九二七)で、はじめて一〇〇パーセントを切り、しだいに数値が低減していき、ようやく信用事業が正常化の方向をとることになる。
 一方、購販売事業の一組合あたりの平均額では、図49のとおり、購買がとかく停滞気味であるのに対して、販売は変動しながら微増している。その際、数値の絶対額では、明治末期から大正前期の時期に比べると、はるかに事業規模が拡大し活発化するが、五年の「昭和恐慌」で、いったん出鼻がくじかれた格好となる。
図49 産業組合の1組合平均購買・販売高(大正9〜昭和9年)

図49 産業組合の1組合平均購買・販売高(大正9〜昭和9年)

 つぎに、農家階層別の組合利用状況につき、昭和元年(一九二六)の坂井郡兵庫村(坂井町)の立誠信用販売購買利用組合(明治四十三年三月設立)の場合、表206によると、地主・自作・自小作・小作の全階層が組合に加入していることがわかる。区域内の未加入者は、その他の階層でわずかに六人であった。そこで、自作・自小作の両階層を合わせた数値(A+B)をみると、貸付高(四七・七パーセント)を除き、組合員数・出資額・購買高・販売高はともに、六〇パーセント台で過半数を占め、貯金高(七八・五パーセント)・利用料(七五・〇パーセント)はともに、七〇パーセント台という高い比率をみせる。

表206 産業組合利用状況(坂井郡兵庫村立誠信用販売購買利用組合、昭和1年)

表206 産業組合利用状況(坂井郡兵庫村立誠信用販売購買利用組合、昭和1年)
 さらに、理事(三人)・監事(四人)・信用評定委員(八人)のうち、自作農が、理事・監事各一人、信用評定委員で六人を数えるなど、組合経営の役職への自作農の進出が目立っている。
 ようは、地主制の後退と自作・自小作の中層農の進出により、組合組織の全体が、従来の上層農を基盤とする組織から、しだいに自作・自小作を中軸とする組織へ転化する方向をたどることを明示するものであり、まさしく、「中農標準化傾向」の趨勢がはっきり認められる。こうした傾向をいっそう押し進め、組織の質・量両面の拡大をもたらすのは、「昭和恐慌」後の農村経済更生運動における産業組合拡充計画の推進を待たねばならない。



目次へ 前ページへ 次ページへ