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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第四節 新しい教育と社会事業
    一 大正自由教育運動
      三国尋常高等小学校の教育実践
 三好得恵の自発教育の実践は、五つの標語と四つの自由(表197)に依拠して展開されていたといえる。尋常科三年以上の子どもたちは、毎日一時間の「自主学習」時間にそれぞれの学習室で、自分の計画と進度にそった独自学習を進めた。高等科二年の子どもの感想をみてみよう(昭和二年『自発教育』二)。
  僕は自習学習の時間を、いつでも待っている。僕の力に合ふ愉快な学習が出来るから
  だ……読方を学習する時は登校して、すぐ読方学習室に自習札をかけに行くが、何時
  も半分位つまってをる。やがて一限がすむと、すぐに自習札をかけておいた読方学習
  室へ走る様にして入る。入るとすぐ、学習室の後方にかけてある予定進度表を見る。
  そして自分がやってゐる課はおくれていないかを確める。もしおくれてをったならば早く
  進む様心掛け、早かったならば、ゆっくり落ちついて深く調べたりぐんぐん次へ進んだり
  する。之を見てしまうと其の下の方に、その課の参考書や、参考読本の名前と頁とが
  出てゐる。それを見てその参考書等を取り出していくのである。……どうしてもわから
  ない場合には、ノートに書入れて、それを学級学習に質問するのだが、それまでには
  参考書を見たり、友達と話したり先生にたづねたりするが、大体は先生にまかせず皆が
  して解決するのである。

表197 三好得恵の自発教育
表197 三好得恵の自発教育
写真154 『力いっぱい』
写真154 『力いっぱい』

 この意見から、子どもたちが自主的に学習活動を展開し、自発教育が実現されているようすがみてとれる。
 三国尋常高等小学校で発行されていた『自発教育』には、さまざまな実践記録が登場するが、そのなかでも、学習のようすが詳細に記録されているものとして、理科教師である鍛治林の「自発的学習による理科実験の輔導」(尋常四年)がある。この授業では、鍛治は、「火」を題材とし、子どもたちの生活に着目しながら、興味・関心を引き出しつつ、自発的学習を子どもたち自身で進めていけるようにいろいろな援助をしており、今日からみても質の高い実践といえる。鍛治が、題材(単元)が「火」であることを告げると、「私の家には毎朝御飯をたくからよく見てゐますから、学習がしやすい」「私の家には電気が消える度毎にローソクをともしますから、火については家で研究出来るからうれしい」といった火と関わる子どもたちの生活上の経験が、次々と積極的に出された。授業の導入でこの単元に強い関心をもった子どもたちは、ローソク、ランプ、火鉢の火、薪火などのテーマをもって研究しはじめた。鍛治は子どものようすを、「児童の心の底から動いてゐる。児童の自然性に合致した理科的生活をしてゐた」ととらえ、自らの学習論を展開する。自ら学びたいととらえた題材について学習する時は、学習が熱心になり、他から強いられたものは子どもの研究熱を喚起する事は少ない、火という題材中より、子ども各自が選んだ方がはるかに自然に活動できる、と述べている。ここには教科書中心の知識注入の発想はまったく存在しない。授業は、子どもたちのテーマにもとづく自学自習の研究として進められる。
 この授業で子どもたちがもっとも深く考え悩んだテーマは、アルコールランプにふたをしたら、なぜ火が消えるかという疑問である。三通りの意見が出た。1「空気が入らんから」(三人)、2「空気が出られないから」(三九人)、3「ふたをすると、中の空気が熱の為めにふくれて火を押すから」(二人)。この三つの考えのどれが正しいのかを、子どもたちは実験を通して試行錯誤しながら解明していった。1の賛成者からランプのふたに穴をあけて実験をしたいという要求が出されるが、ガラスに穴をあけることは不可能なので、その代わりに広口瓶を逆さにして下を少しあけて空気が入るようにし、なかにローソクを入れて実験をすればよいという案が子どもから出される。2の賛成者からはジョウゴみたいなものを逆さにしてローソクにかぶせて実験をしたいと案が出される。この二つの方法で早速実験が行われた。その場面を鍛治は、「競争本能の著しい彼等は手に汗を握り、物凄い眼光で一種ゆかしき教室の空気をつくった。後者の方は先に消えた。三児の万歳の声は人数にも合わぬ大声であった。歓声の終らぬ中にポット消えたのは前者の実験だった。三十九児の叫びは一通りではなかった」と記録している。
 両者の考えの誤りに気づいた子どもたちは、二つの考えを統合して、空気が入りかつ出られるような装置を考え出した。ある子どもは、「家の改良カマドも同じわけです。下の口と煙突のつゝの方の口とをしめると火は消えてしまひます」と身近な例を出している。この授業の展開をおっていくと、まさしく子どもたちが探究活動を行い、試行錯誤しながら実験をとおして科学的思考を身につけていくプロセスが明らかになる。三国尋常高等小学校の自発教育の結晶ともいえる授業である。



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