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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第三節 政党政治の展開
    三 総選挙の実態
      普選下の中選挙区
 全県一区で定員五人と一人減となった。選挙前の分布は山本、猪野毛と昭和三年(一九二八)二月に添田との対立の結果鞍替えをした山口の政友会三人と谷口、熊谷、土生の民政党三人が対峙しており、いずれの党が一人減らすかが話題を呼んでいた。政友会からは現職の三人と丹生郡の佐々木、さらには高倉の出馬もうわさされたが、結局山口と高倉は断念し、山本、猪野毛、佐々木の三人にしぼられた。しかし政友会は支部内部の対立をかかえ全党的な選挙対策が困難であり、個人本位の選挙対策を余儀なくされていた。これに対し民政党は党本位の選挙対策を進め、各地に民政倶楽部、民政同志会を組織し、内閣攻撃の言論戦に力を注いだ。
 さて、七、八人の候補者で約一三万の票を争うとして、当選ラインはほぼ一万五〇〇〇票と考えられていた。民政党は現職の熊谷、土生と補欠選挙で惜敗した添田敬一郎を公認した。現職の谷口は、実業同志会の松井との選挙後民政入党の密約のもとに彼の足羽・吉田・今立郡の票を松井に譲り、立候補を辞退した。そして公認三人の地盤割として県下を三分し、坂井郡を中心とした県北部を熊谷、福井、丹南を含む県中央部を土生、嶺南を添田に、そして前回谷口が戦った第二区の足羽・吉田・今立三郡は各自蚕食することにした。実業同志会の松井は福井に主力をおき、旧第二区の各郡に手を伸ばした。
写真152 選挙演説会のポスター

写真152 選挙演説会のポスター

 一方、個人本位で対策を講じていた政友会も山本の主導のもと各候補の地盤割を行うことになる。山本は福井市での松井との競争をさけ、主力を坂井郡に注ぎ、また各地の後援会を土台に戦うことにし、猪野毛には従来の地盤に嶺南の遠敷郡をまわし、佐々木には丹南三郡を根拠に足羽・吉田二郡と嶺南の大飯郡をまわすことにした。
 なお、山本は民政の熊谷、土生の地盤への侵蝕に主力を注いだ。しかし坂井郡は党派を越えて郡一致の気風が郡全体を支配し、熊谷の潜勢力も強く、さらに山本派の同郡県議の内訌もあり、また松井、猪野毛の進出もあって、予期どおりにいかず、やむなく猪野毛の大野、佐々木の丹生郡へ手を広げざるをえなかった。また嶺南の添田の勢力をそぎ、嶺北に進出させ土生、熊谷との共倒れを策して、仏教連合会の反対でいったん出馬を断念していた三方郡臥竜院の上野舜頴の出馬を策したが成功せず、選挙戦の末期に遠敷郡松永村の政友系須田を立たしめたが、あまり添田への影響はなく効果はなかった。
 また、昨年の県会議員選挙で善戦した労農党県支部連合会はその後組織の強化、党勢の発展をはかり、最高幹部の田村仙之助と内藤弥兵衛の葛藤、内藤の除名という内訌を越えて、前年十二月に武生町で日本農民組合県連合会と労農党県支部連合会の総会を開催、執行委員長田村の推せんを決定した(『大阪朝日新聞』昭2・12・1、2、6)。そして労農党は各地に演説会を開き、もっぱら言論活動を中心におもに新有権者層に訴え続けた。また社会民衆党福井支部も田村の応援を決定していた。
 最初の普選ではあったが、実態は従来どおり地盤中心であり、また金力・権力が支配したことは否定できなかった。結果は政友会二人、民政党二人、実業同志会一人が当選した(表195)。各候補者の得票数は、表195にみるように出身市郡における得票が群を抜いており、そのことは選挙が相変わらず地区推せんのもと地区の利害と意識に左右されたことを物語り、以後普選下においてこの点が益々強まることを予想させるものがあった。

表195 第16回衆議院議員選挙結果

表195 第16回衆議院議員選挙結果



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