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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第三節 政党政治の展開
    一 大正政変前後
      営業税問題
 さて、山本内閣は懸案の行政整理を実施し、組閣早々の第三〇議会で不成立に終わった営業税軽減に取り組むことになる。この減税問題は都市の商工業者にとり明治四十一年(一九〇八)の廃税運動以来の課題であって、とくに四十三年地租八厘減の実施以来焦眉の問題となっていた。しかし、内閣は海軍拡張と積極政策の余波のため、蔵相の主張する営業税三割減の方針をいったんは退けた。このことは都市商工業者層に強い不満をあたえ、また野党に対して好餌をあたえることになった。
 憲政擁護会は二年の暮れ、運動の目標に減税問題を掲げ、大正三年(一九一四)一月には三税撤廃を決議するにいたった。商業会議所連合会もまた営業税三割減の要求を全廃に切り替え、憲政擁護会と協同して内閣攻撃を開始し、ここに営業税全廃運動は全国各地に広がることになる。福井県においても一月二十九日敦賀商業会議所が営業税全廃に関する請願を提出、二月六日には福井市に営業税・織物消費税全廃福井県商工大会が盛大に開催された(資11 一―三五五〜三五七)。
 こうした情勢に対して、『福井日報』は一月九日以降連日のように、地租軽減に言及しない憲政擁護会の三税全廃論は机上の空論であり、一種の党略上の主張であると批判し続けた。そこには与党政友会の立場を表明する同紙の姿勢が明瞭にうかがわれた。地租軽減に関しては二月十二日、政友会吉田郡部会主唱による地租軽減県民大会が福井市で開催された。『福井日報』は、この県民大会を大きく報道しており、大会は二〇〇〇有余人の来会のもと地租軽減期成同盟会の設置と地租七厘減の要求が決議された(『福井日報』大3・2・13)。そして第三一議会においてこの減税問題は結局、政友会の主張した営業税三割減・地租二厘減で決着し、問題を先送りすることになる。かくて、政況はいわゆるシーメンス事件による世論の弾劾のもと予算不成立を以て三月二十四日、山本内閣は民衆の怒号のなかに総辞職したのである。



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