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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第二節 民衆運動のたかまり
    五 さまざまな市民の運動
      自転車税の軽減運動
 県下の自転車保有台数は、大正七年(一九一八)の約八六〇〇台が、昭和二年(一九二七)にはほぼ四万台にまで増加し、通学・通勤者の足として広く普及しはじめていた(資17 第493表)。ところが、福井県の自転車税は一台あたり五円五〇銭であり、全国道府県のなかでもっとも高額であり、市町村付加税を加えると一〇円を超えるところがあった。そのため、まず県下約三〇〇の自転車業者が、「福井県自転車業組合」を結成し、昭和二年八月十九日に福井商業会議所で創立大会を開き、減税運動に取り組むことを決議した。また、十月十五日に挙行された労働農民党坂井支部の発会式では、荷車税とともに自転車税全廃が運動方針の一つにかかげられていた(『大阪朝日新聞』昭2・8・11、20、『福井新聞』昭2・10・17)。
 さらに自転車業組合を母体とした「自転車税軽減期成同盟会」が結成され、県下約一万二〇〇〇人の署名を集め、軽減請願書を県および県会へ提出した。同会が示威運動を行うなか、県会では、桂屋喜右衛門議員が五円五〇銭を五円にする修正案を提出したが、民政派や中立派八人の賛成しかえられず、軽減運動は翌年に持ち越された(『大阪朝日新聞』昭2・12・6、18)。
 昭和三年秋には、同盟会員も一五〇〇人を超え、敦賀・武生・金津・芦原町などでも示威運動が行われるなど自転車税軽減運動は県下に広がっていった。また、この時には、全国でさきがけて実施され悪評であった「自動車道路損傷負担金」に関しても撤廃期成同盟会が結成され、全廃運動が展開されていた。県の雑種税やこうした負担金の強引な徴収には、さまざまな抗議行動が起こされていたのである。これに対して県も、知事の諮問会として「県税制調査会」を設置し、その答申にもとづき税制の整理を行おうとしていた。調査会は、自転車税については「なるべく軽減すること」と答申していた。このような動きをうけて、三年の通常県会には五円五〇銭を三〇銭減税して石川県なみの五円二〇銭とする原案を可決した(『大阪朝日新聞』昭2・10・5、19、11・20)。



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