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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第二節 民衆運動のたかまり
    五 さまざまな市民の運動
      営業収益税反対運動
 大正十五年(一九二六)の税制整理で営業税は廃止され、かわって純益を課税基準とする営業収益税が採用された。純益四〇〇円未満の個人小営業者は免除され、また絹織物業関係者は営業税と比べかなりの減額となり、春江村などは三割減となっていた。
 しかし、福井市では課税対象者は七〇〇人減っていたが、昭和二年(一九二七)六月十五日に福井税務署が決定した課税総額は、逆に若干増加した。織物関係を除く営業者は多くが増税となったため、福井洋服雑貨商組合が首唱者となり、福井実業連合会に加盟する一〇〇余の組合が反対運動を起こした。十七日には市内の六〇余の営業組合が協議会を開き、「福井商工組合連盟」を結成し、決定額の取消しと再調査を求めた運動を起こすことを決議、翌七月二十日には小営業者らおよそ五〇〇人が「血に泣く民衆の叫びを聞け」などの莚旗を先頭に示威行動を行った。
写真149 納税者大会の新聞広告

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 このような反対運動の結果、福井税務署長が交代し、新署長は約一〇〇〇件の再審査を受け入れ、約七〇〇〇円の減額が行われた。ただ、帳簿の不備や申告にもとづく純益の決定をめぐって、営業収益税もこれ以降連年のように小営業者の反対運動を惹起することになり、昭和六年には税率が、法人が三・六パーセントから三・四パーセントに、個人は二・八パーセントから二・二パーセント(ただし、純益が一〇〇〇円を超える場合は二・四パーセント)に引き下げられた(『大阪朝日新聞』昭2・6・17、18、7・21)。



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