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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第二節 民衆運動のたかまり
    五 さまざまな市民の運動
      営業税反対運動
 営業税は、それ以前は地方税として徴収されていたものが、明治二十九年(一八九六)の「営業税法」によって国税直接税とされた。この措置は、政府の日清戦後経営遂行に必要な歳出増加を賄うためのもので、翌三十年の営業税収入は、所得税の二倍にあたる四四二万円で、国税全体の四・四パーセントを占めた。また、営業税を国税にすることは、国税の零細税種の地方委譲への見返りおよび都市商工業者への参政権付与などの目的をもっていたが、なにより商工業者の社会的地位の向上がこのような額の税徴収を可能にさせていた。
 しかし、営業税は商工業者に資本金・売上高・建物賃貸価格・従業員数などの外見や台帳記入の数字を課税基準とする外形標準にもとづいて課税されたため、施行当初には商工業者による激しい反対運動が起こっていた(第二章第一節二)。また、建物賃貸価格の決定権は、地方の税務署に裁量権があったため商業会議所などとのトラブルがつねに起こり、さらに税務署員の店頭での諸帳簿点検には抗議が絶えなかった(資11 一―三五四)。したがって、この営業税には、政府の税制改革が問題にされると時の政治状況ともからんで、つねに廃止運動が起こされることになり、とくに大正三年(一九一四)と十一年には商業会議所や実業組合を中心にした全国的運動が展開された。
 日露戦時に非常特別税として、地租は二倍近くに、所得税・営業税は三倍に近くに増税され、新たに織物消費税・通行税などが設けられた。当初は戦争終結後一年でもとにもどすはずであったが、賠償金がとれなかったこともあり非常特別税はそのまま据置きとなり国民の不満が高まっていた。このようななか大正三年の営業税反対運動は、憲政擁護運動の重要な部分を構成して展開された(第四章第三節一)。
写真148 営業税全廃県民大会の新聞広告

写真148 営業税全廃県民大会の新聞広告

 三年一月五日、憲政擁護会総会は、営業税・織物消費税・通行税の全廃を決議し、十四日に全国有志大会を開催することを決めた。三年のこの三悪税全廃運動は、福井県の場合、織物消費税の廃止も切実な要求であったため、大きな盛上がりをみせ、早くも一月十七日には福井県絹織物同業組合が営業税・織物消費税の全廃を貴衆両院議長あてに請願していた。また、商業会議所連合会が逡巡のすえ、三割減要求を全廃要求に転換する一月三十一日以前において、すでに二十六日には福井商業会議所が「営業税及織物消費税全廃請願」を、翌二十七日には敦賀商業会議所が「営業税全廃に関する請願」を議会や政府へ提出していた。さらに、福井市会や敦賀・武生・三国町会および三国町実業協会などが営業税廃止を請願する動きをみせた(資11 一―三五五、『福井日報』大3・1・20、27、28)。
 二月二日には、福井商業会議所で「各種営業組合大会」が廃税決議を上京中の松井文太郎に打電するとともに、市民大会の開催を決めた。そして二月六日に開かれた「営業税、織物消費税全廃県民大会」には一〇〇〇人を超える商工業者が集まり、「熱烈なる空気」のなか全廃決議がなされた。また、来会者は「鯖江、森田、金津、小浜、東郷、敦賀、武生、丸岡、三国、勝山、松岡、丹生の有らゆる町村を網羅」しており、廃税運動は全県的広がりをみせていた(資11 一―三五六、『福井日報』大3・2・3)。
 しかし、衆議院は二月十六日、政府提出・政友会修正の営業税改正法案(三割減)を可決し、翌十七日には野党三派提出の通行税法廃止法案と国民党提出の織物消費税法などの廃止法案を否決した。福井県からも十数人が上京し全廃運動を行っていたが、その熱意は実らなかったのである。また、三割減がなされた営業税も外形標準主義が依然として残り、課税基準の矛盾はいっそう拡大されていくことになった。
 第一次世界大戦による好景気は、企業間の格差を拡大させており、外形標準による営業税の不公平が目立つようになっていた。戦後恐慌、軍縮論の高揚、政府の税制改革着手による営業税の地方委譲論の台頭や普選運動の高まりが、大正十一年にふたたび営業税廃止運動が展開される大きな要因となった。二月二十三日、東京で臨時商業会議所連合会が開催され、営業税廃止が決議されるとともに、福井商業会議所はじめ二〇の会議所が幹事に指名され、政府との交渉にあたることになった。
 二月十六日、福井商業会議所に各営業組合の代表者が会合し、松井・駒屋の両副会頭のほか各団体の代表八人を上京委員に決定した。さらに、三月二日には「営業税全廃期成同盟会」が結成され、宣言と「本会は多年悪税と認めたる営業税の全廃を期す」という決議を可決した。また、敦賀商工組合連合会や小浜町実業団も営業税全廃の請願書を政府や議会へ提出した(資11 一―三五八、『大阪朝日新聞』大11・2・18、3・12)。
 しかし、四月末に県下全営業税納税者の署名を集めようとしたときには、運動への反対意見が起こっていた。すなわち、営業税が地方税に委譲されると「百姓議員」勢力の強い福井県ではかえって負担が重くなる可能性があり、賦課方法の改善を求めるべきとする主張がかなりあったのである。このほか、生糸商や羽二重商を従来の委託販売業から物品販売業にすべきだという会計検査院の意見への対応に追われたり、また絹織物業者は不況対策として日銀から低利融資をうけていることもあり、十一年の廃税運動は三年時に比べやや盛上がりを欠くことになった(『大阪朝日新聞』大11・4・30、12・16)。



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