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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第一節 第一次世界大戦と戦後社会
     二 第一次世界大戦後の社会
      市民的体験と立憲青年党の大勝
 福井立憲青年党は、大正十年(一九二一)四月十五日から投票の市会議員選挙に初陣ながらかなりの候補者をたて、まれにみる激戦を闘った。そして各選挙区の各級でトップ当選五人など上位当選を独占して九人が選出され大勝利となった。有効投票二九七八のうち、立憲青年党が九二八、政友会八六七、松井派八三〇、無所属三五三であった。市会の定員は三六人で政友会は改選前、二〇議席を超え過半数を占めて議長と副議長を独占していたが、今回の選挙では青年党と松井派の挟撃にあい当選者はわずか六人にすぎず、三級から二級へと連続する大敗をみて、最後の一級選挙では議長と副議長はともに候補を断念せざるをえない惨憺たる敗北を喫したのである(『大阪朝日新聞』大10・4・21、26〜29)。
 この選挙において躍進と大敗を分けたのは何か。一つのカギは、昨九年の総選挙における市民の体験と意識変化のなかに伏在する。全国的にも有名となった政友会の山本条太郎と非政友派の松井文太郎の選挙戦は激烈をきわめた。結局、一二〇一票対一一九七票の四票の僅差で山本が勝を制したが、山本派が市内に置いた選挙事務所が八〇か所で松井派の二八か所を大きく上回り、投下した運動資金も二〇万円を下らないと評されていた(『大阪朝日新聞』大9・4・14、5・4、12、13)。僅差の落選だった松井への同情もあって政友会の選挙運営への非難の世論も高かった。この市民感情と意識変化の潮流に乗って登場したのが青年党であった。十年一月十六日、青年党は二月の県会議員の補欠選挙に独自候補の擁立をきめた。候補者には費用その他負担をいっさいかけない「理想選挙」とし、ただ候補者は当選辞退をしない、落選しても腹を立てない、という二条件にのみに応じてもらえばよいという。この方針は広く党外の市民からも支持されたが、当の候補者に固辞され不発に終わった(『大阪朝日新聞』大10・1・18〜20、25)。普通選挙と政治革新を掲げる青年党の選挙戦の実態は不明であるが、県議補選での「理想選挙」に近い選挙戦ではなかったか。これが市民の好感を呼んだのではなかろうか。
写真138 松井文太郎

写真138 松井文太郎

写真137 山本条太郎

写真137 山本条太郎

 政友会敗北の誘因の一つは選挙直前の家屋税問題の紛糾にあった。市議選直前の三月、市会に家屋税一部等級引上案が提案された。多数派政友会が提起し市参事会の審査も経た引上案によると、家屋税制も実施後一〇年となり駅付近の発展、火災地も市区改正で面目を一新するなど市勢の変遷いちじるしく、不公平になった現状の改正によって二万円の増収をはかるという。ところが改正案は全体を精査せず一部の税率引上地区のみを調査した不公正な改正案だとする反対論が各地で起こる。三月四日、駅周辺の市会議員が市役所で会合し反対運動を開始し、十日に市会に改正案が提案される前日の九日、順化、旭、毛矢、宝永地区の区民が一五〇人ほど市役所へ押し寄せ各区長が委員として助役との交渉にあたる。全体をよく調査し改選後の新市会に改めて提案するよう要求したが、助役はすでに市会と市参事会の決定をみている、と反論して交渉は不調に終わった。十一日の市会には百数十人の市民が、示威運動のため市会の傍聴に駆けつけた。反対派市民は全体の調査をふまえ改選後の新市会に提案せよと要求し、改正案を固執する市会多数派と対立する構図が鮮明となった。十六日の市会では、反対地区の運動はさらに勢力を増し印刷物まで配布して市民を示威運動に駆りたて、定刻までに傍聴席は二百数十人で満員となった。傍聴席での示威を背景として反対派議員の質問が続出し結局、各学区選出の調査委員八人が選出された。
 その調査委員会で改正案の内容がさらに明確となった。家屋税の賦課方法は、二本だてで土地等級による税率と家屋の種類別坪数による税率からなっていたが、今回の改正案では土地等級の改正引上げのほか一部家屋坪数の改正引上げも盛られていたのである。これにより宿屋、料理屋、劇場、常設館、工場も増税となり、とくに市内の多くの機業工場は不況下に増税となった。二万円とされていた増収額も実は三万円であった。反対運動はさらに熾烈となり二十九、三十の両日の調査委員会が終了すると、ただちに三十一日の市会で可決施行となる。順化、旭の両学区を中心とした反対派市民と市内機業家は、約三万円の負担を減ずるため三十日、活発に動きまわり議員に市会欠席をもとめる。この最後の活動が効を奏し、三十一日の市会は、欠席多数でついに流会となった(『大阪朝日新聞』大10・3・6、10、13、17、20、4・1)。この家屋税率改正案は市会を独占支配する多数派政友会の声望を失墜させる。これが四月十五日開始の選挙で政友会が惨敗する伏線となっていたのである。多数派の税率引上案を市民が実力で阻止し、選挙で見事なしっぺい返しをする市民意識の健全さを実証する選挙となった。



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