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 第三章 明治期の産業・経済
   第四節 鉄道敷設と公共事業
    三 北陸線の敷設
      北陸鉄道会社に仮免状下付
 ただちに仮免状下付の見込みであったが、過熱した「鉄道病」という国内経済上の理由から延期となった。鉄道局長官井上勝は、内閣総理大臣黒田清隆に北陸鉄道会社の問題点を答申している(「公文類聚」第一三編)。内容は、第一に木ノ芽嶺の険峻と親不知の難所にさえぎられた孤立した鉄道であること、第二に積雪で冬期運転が困難であること、第三には四〇〇万円の巨額の資金募集が容易でないことで、東北鉄道会社の問題点が未解決であると指摘した。九月には、福井県議事堂で北陸鉄道福井県支部会が開催され、資本金募集の協議と調整も進み、その後、三県知事、書記官、発起人などによって北陸鉄道敷設の請願が行われた。
 明治二十二年(一八八九)四月、井上勝長官の第二回答申書が提出された。「鉄道ハ長大ナルモノヲ延長スルヲ利ナリトシ短小ナルモノヲ孤立セシムルヲ損ナリトスル……北陸鉄道ノ如キハ之ヲ孤立セシメテ利用完全ナラス……寧ロ敦賀線ヨリ延長シテ其経済ヲ官設鉄道ト一ニスルノ方法ヲ取ルヲ得策ナリ」という見解は、さきの足羽吉田郡役所や福井県庁での協議会の論議と共通するものである(「公文類聚」第一三編)。彼は、東海道線全通を目前にして、幹線鉄道網敷設の立場から鉄道路線の切売り反対を主張し、北陸鉄道会社への仮免状下付の見合わせを求めている。
 五月になり、運動も盛んとなったが、井上長官の時期尚早論は不変であった。理由は、北陸鉄道では発起人が保証金の負担をせず、知事が創業費用を立替えさせている点と、資本金数百万円の会社にもかかわらず仮社長も未決定である点などにあったようである。この二点について北陸鉄道側でも対応がみられた。五月の上旬に福井事務所が県会議事堂より福井市照手上町に移転、下旬に保証金募集の協議が行われている(『福井新報』明22・5・12、15、23)。
 七月四日、東海道線が全通した。同月七、八、九日の三日間、福井市の東別院で三県連合の北陸鉄道創立委員会が開かれた。出席者は、岩村石川県知事、島田富山県書記官、本部福井県書記官以下の県官と、創立委員として富山県五人、石川県八人、福井県八人、東京府一人、大阪府二人で、福井県からは創立委員として、林藤五郎、牧野逸馬、内田謙太郎、佐々木治太夫、黒田道珍、前田閑、竹尾茂、岡部広が出席した。保証金については、発起人は一株一円を二十二年七月十五日から八月五日に拠出となったが、社長については、県知事の委員長に代えて委員長一人を選挙し社長の職務を遂行することとし、富山・石川・福井・他府県の創立委員より各三人の常議委員を互選し委員長の評議に参与させることになったが、後者については反対論が強かった。事務本所も金沢市下堤町に設置された。(『福井新報』明22・7・9、20)
 十二月二日に、北陸鉄道会社創立発起人総代(富山・石川・福井県各一人、福井県は林藤五郎)の名で「武生敦賀間測量ノ義ヲモ併セ御允許ヲ蒙リ、其工費ノ都合ニ依リ之ヲ敦賀官線ニ連接シ遺憾ナキ完全ノ線路ヲ布設候様仕度」とした「北陸鉄道布設ノ義ニ付追願」が出された(資10 二―一七六)。敦賀の官線との連接は、井上勝長官の指摘を待つまでもなく福井県側発起人の悲願であった。ここに会社として敦賀・富山間の一括測量の方針が決定されたのである。
 「追願」提出の一週間後、十二月九日、待望の仮免状が下付された(『福井新聞』明22・12・13、18)。   仮免状第十四号 北陸鉄道会社発起人嶋田孝之外五十四名富山県下越中国富山より加賀の国金沢越前国阪井港福井武生を経て敦賀迄及越中国守山より分岐して伏木に至る鉄道布設出願に依り同線路実地測量することを許可す、但此仮免状下付の月より起算し満十八ケ月以内に私設鉄道条例第三条に記載する図面書類を差し出さざれば此仮免状は無効のものとす 明治二十二年十二月九日 内閣総理大臣 公爵三条実美     
 仮免状の下付をうけて、二十三年一月二十日から二十五日まで、金沢市で北陸鉄道発起人株主委員会総会が開催された(『福井新聞』明23・1・23)。福井県からは、さきの福井県北陸鉄道発起人総会で選ばれた一三人が出席した。出席者の持株数は、会社創設時に比較して三・六倍に増加し運動の高揚がみられる。とくに三国町の二人の場合は七・五倍に増加し、しかも福井県全体の三三パーセント強を占めるなど鉄道に熱い期待を抱いていたことがうかがえる。総会の、第一号議案は発起人の代理者の議決権の可否、第二号議案は証拠金未納者の処分、第三号議案は北陸鉄道会社組織前の責任者の選出方法とその職務内容、第四号議案は北陸鉄道会社申合規則、第五号議案は北陸鉄道会社定款である。第二号議案は、この総会までの未納者は発起人を除名し、その分は未納者の郡市・府県内の協議で補充するというもので、第三号議案は理事委員長(年俸三〇〇〇円・手当金五〇〇円)と理事委員(勤務一日あたり一円五〇銭)を専任し、本免状を得て株主総会決議を経るまで各々社長・常議員の職務を務めるということと、資本金の四〇〇万円は武生・敦賀間の実測と発起人総会の協議で増加するという内容である。さらに、岩村高俊石川県知事が委員長を辞任し、北陸鉄道の敷設運動は新たな段階に入った。



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