目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 明治期の産業・経済
   第四節 鉄道敷設と公共事業
    三 北陸線の敷設
      北陸鉄道会社の誕生
 松方デフレも明治十九年(一八八六)には回復し、鉄道業や紡績業を中心に「企業勃興期」が到来した。十八年から二十五年の間に五〇件もの私設鉄道会社創設の出願があり、鉄道局長官井上勝は、その加熱ぶりを「近来流行ノ鉄道病」と称した。政府は、二十年に「私設鉄道条例」を公布して、統制と保護を行った。この第一次鉄道ブーム下で、二十五年までに開業しえたのは、わずかに一二社にすぎなかった。
 北陸でも、敦賀から福井・坂井港を経て金沢・富山にいたる鉄道敷設計画が再び起こり、二十一年六月三十日、「私設北陸鉄道会社創立願書」が内閣総理大臣黒田清隆に提出された(金沢商工会議所文書、小谷正典「北陸線の敷設について」『福井県立藤島高等学校研究集録』二四)。この計画は、一月ころに金沢の有志を中心に発起されたと推定され、福井県内では同年二月九日の『福井新報』に初めて載せられている。「私設」というものの、福井県では、県庁土木課内に県属四人が鉄道事務委員として配属され、県会議事堂内に北陸鉄道仮事務所福井支部が設置されていた。また、鉄道敷設の協議が議事堂や各郡役所で行われたり、郡長が資産家名望家を招集して発起人への加入を促すなど、地方行政が積極的な役割を果たした。
 五月初めには概要が固められた。第一期工事は坂井港・金沢・富山間、第二期工事は坂井港・福井・敦賀間、第三期工事は津幡・七尾間支線で総工費一一〇〇万円である。五月、柘植郡長の招集した足羽吉田郡の協議会では、鉄道を県民の利益とするには木ノ芽嶺の隧道開鑿が不可欠であるという基本認識のもとに、当面は第一期工事の武生延長を求めることに決した。続いて福井県全体の北陸鉄道協議会が開かれ、この考え方が福井県側の主張として確立した。出席者は、石黒知事・本部書記官・越前七郡の各郡長・鉄道事務委員五人・各郡有志五五人で、石黒県知事が計画の経過と協議会の主意を演説、知事が協議会会頭に推された。発起委員の推せんとともに、官設鉄道の敦賀に直結する木ノ芽嶺の開鑿を第一に行うという議論も起こったが、福井県としては第一期工事を武生まで延長することを三県委員会に提案することに決定した(『福井新報』明21・5・8、15、19)。
 五月二十四日、金沢の石川県議事堂で北陸三県連合発起委員会が開催され、富山県一七人・石川県一八人・福井県二二人、計五七人の発起人が出席した(表156)。第一期工事で武生への延長という提案は採用されたが、宿願の敦賀への延長は第三期工事となった。北陸鉄道会社創立事務総理委員長を石川県知事に、福井富山事務支所総理委員長を福井・富山両県知事に委嘱するなど、福井県での協議会とともに地方行政に強く依存していることがうかがえる(『福井新報』明21・5・29)。

表156 北陸鉄道会社発起人(明治21年)

表156 北陸鉄道会社発起人(明治21年)
 六月三十日、「私設北陸鉄道会社創立願」が、富山・石川・福井三県知事の副申書を添えて、富山県二一人・石川県一九人・福井県一二人・東京・大阪府各一人、計五四人の発起株主から内閣総理大臣黒田清隆に提出された。表156によれば、福井県内一二人のうち、三国(坂井港および滝谷村)が三人で、この地方が鉄道敷設に多大な関心を寄せていたことがうかがえる。発起株主の特徴は、東北鉄道会社の華族に対して、主として鉄道敷設地域の資産家や名望家であるということである。鉄道敷設の内容は「北陸鉄道会社起業目論見書」に詳しい(資10 二―一七五)。第一 社名本社所在ノ事 本社ハ……北陸鉄道会社ト称シ本社ヲ加賀国金沢ニ設ケ便宜ニ依リ事務所ヲ東京富山福井ニ置ク第二 線路ノ事 本社ノ鉄道ヲ敷設セントスル線路ハ、越中国富山ヨリ加賀国金沢越前国坂井港福井ヲ経、武生ニ達スル本線、及越中国守山ヨリ伏木ニ達スル支線、渾テ凡ソ百拾九哩三分ノ間ニシテ、追テハ加賀国河北郡津幡ヨリ能登国七尾港及越前国武生ヨリ敦賀ニ通スル線路ヲ選定シ、敦賀ノ官線ニ連接スル目的ナレトモ、目下工事ノ都合ニヨリ先ツ富山ヨリ武生迄ノ間ト定メ第三 資本金ノ事 本社ノ資本金ハ四百万円ト定メ一株ヲ金五十円トシ総株数八万株ヲ募集スルモノトス第四 工事ノ事 越中国富山ヨリ越前国武生迄及越中国守山ヨリ伏木迄、延長凡ソ百十九哩三分間ニ鉄道ヲ敷設スルニ就キ、之カ費用ノ概算ヲ立ツルニ総額三百六十五万六千三百六十三円十六銭
 「創立願」提出の段階で、総資本金四〇〇万円の二四パーセントが発起人株としてあげられており、そのうち北陸三県で七九パーセントを占め、発起人の八三パーセントは発起人の最低資格である六〇株三〇〇〇円の出資者である。出資金・発起人数ともに富山・石川・福井の順であり、危険な海運区間を短縮したいとする願望の度合が反映されている。福井県では、発起株主の全員が一〇〇株未満で、かつ最低資格者が九五パーセントを占め、第一期工事に木ノ芽嶺の開鑿が明示されていないため、意気込みは相対的に低い。しかし、坂井港では森田三郎右衛門ら一三人が発起人となっており、周辺地域を合わせて全体の三三パーセントを占めており、この鉄道への期待がうかがえる(表157)。

表157 北陸鉄道会社郡別発起人(明治21年6月)

表157 北陸鉄道会社郡別発起人(明治21年6月)



目次へ  前ページへ  次ページへ