目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 明治期の産業・経済
   第四節 鉄道敷設と公共事業
    二 水害と河川改修
      九頭竜川改修第一期・第二期工事
 明治二十九年(一八九六)の第九回帝国議会に、国家須要の河川である利根川、荒川、九頭竜川など一二河川の改修が建議された。この建議の可決にもとづき「河川法」が制定され、河川は国の保護と強力な統制監督下におかれることになった。十八年と二十八年の水害被害額全国第一位、二十九年が同第五位という九頭竜川では、国家的事業として改修工事が施工される条件が整ったのである。
 三十年十一月、通常県会に「九頭竜川改修施工ノ件」が諮問された。改修の対象は、本流の九頭竜川(松岡村より下流域)と、日野(東安居村下市より下流域)・足羽(福井市豊島中より下流域)の二支川である。「九頭竜川改修計画」は、「九頭竜川を改修せんとするは洪水防御を目的とするにあり。故に低水を改良し運輸の便を増進するが如きは本計画範囲外に属す」と、その主旨が「河川法」による治水にあることを明らかにしている(『福井県土木史』)。予算総額は三三八万余円で、そのうち国庫支弁額は二四五万余円、県の負担額は九二万余円である。県会は、待望の提案を即日満場一致で可決、県会議事録には「傍聴席ヨリ福井県万歳及ビ県会万歳ノ声交々起」ると記されている。同県会では、要改修河川道路の調査委員の設置を求めた「土木調査委員設置ノ件」、敦賀・三方・遠敷・大飯四郡の河川道路改修の調査・立案を求める「河川道路改修ノ義建議」、九頭竜・日野・足羽川の改修区域を上流へ拡張することを求める「河川改修ノ義ニ付建議」が可決されるなど、県下全域を対象とする大土木事業構想への展開がみられ、福井県の土木行政の上で特筆される県会であった。
 三十一年三月、九頭竜川筋左岸吉田郡松岡村・同右岸坂井郡鳴鹿村より下流の改修が、「河川法」による施行を認められた(内務省告示第二二号)。十月には、日野川筋左岸足羽郡東安居村下市・同右岸同郡同村角折より下流、足羽川筋足羽郡木田村木田地方・同右岸福井市豊島中町より下流の改修がそれぞれ認められた(内務省指令第八八号)。三十三年二月には、九頭竜川筋左岸吉田郡下志比村・同右岸坂井郡鳴鹿村から下流が、日野川筋左右岸南条郡南杣山村鯖波から下流が、足羽川筋足羽郡東郷村脇三ケ・同右岸酒生村篠尾から下流が、三十四年四月には日野川筋左岸南条郡湯尾村湯尾字井上・同右岸同郡南杣山村鯖波から下流が、四十年二月には七瀬川が、各々「河川法」による施行を認められるなど、認定の範囲がより上流へと広げられていった。
 実際の改修工事は、三十三年度より四十二年にいたる一〇か年の継続事業として、総工費三八一万一二一〇円(国庫負担二七七万二二五八円 地方負担一〇三万八九五二円)をもって、三十三年五月に第四土木監督署(三十八年の官制改革により、内務省名古屋土木出張所と改称)のもとで実地測量に着手(内務省告示第二一号)、築堤工事は三十六年三月(足羽川は同年七月、七瀬川は四十年十月)に着工された(『県史』三 県治時代)。
 工事にともなう保障費の地所買上費・家屋其他移転料の二二パーセントを除いて、第一が築堤費・護岸費・石垣費、第二が備品費、第三が浚渫費で、各々二六・九パーセント、二一・三パーセント、九・六パーセント、計五七・八パーセントを占めており、工事の中心は護岸関係と浚渫であった。護岸関係では、川幅を九頭竜川で三〇〇間(吉田郡森田付近で一四〇間、さらに松岡上流では一〇〇間)、日野川で一〇〇間、足羽川で八〇間に拡張し、堤防の規格は、高さが洪水面以上五尺(足羽川の福井市上流は四尺)、上幅の馬踏部分が九頭竜川で三間、日野・足羽川で二間半(足羽川の福井市内部分は、将来道路と兼用の見込みから三間)とし、九頭竜川筋の一一里一四町余に、足羽川の六里余に、日野川の二里三町余に、七瀬川の二九町余に、各々築堤工事が行われた。七瀬川の築堤工事は、当初は九頭竜川からの逆流防止のため、鶉村布施田に水門を設置する予定であった。また、福井市内の足羽川右岸の石垣は、洪水面以上四尺に改築された。足羽川では、東安居村水越・角折間と同村明里に、洪水疎通を目的とする川幅八〇間の放水路が開鑿され、さらに、足羽川とその支流荒川の合流点には、逆流防止のために幅一二尺・高さ一四尺の煉瓦拱二連の水門が設置された。浚渫工事は、人力による水上浚渫と浚渫船による水中浚渫の両方法で行われた。水上浚渫によって掘削された土砂は、五噸機関車で排出され、水中浚渫の土砂は、三艘の曳船(九頭竜丸・足羽丸・日野丸)と一〇坪積土運搬船で海中に投棄された。また、排砂機が泥原新保地内の九頭竜川河口に設置され、海中投棄が困難な冬季の作業効率の向上がはかられた。事業は、日露戦争で経費が節減されたものの順調に進められ、四十四年度をもって全工事が終了した。
 第一期工事では、九頭竜川と足羽川の改修が中心で、日野川は足羽川との合流点より下流がおもな対象となったので、四十三年度に日野川の上流部と支川の浅水川、鞍谷川を対象とした第二期改修工事が起工された。当初の経費は、第一期工事の既定工費の残額三〇万円に追加工事費七〇万円を合わせた一〇〇万円(そのうち福井県負担は二一万円)であった。大正五年度より、支川の天王川の改修工事を加えて八年度にいたる一〇か年度継続事業とし、工費二五万円(そのうち福井県負担は六万三〇〇〇円)を追加した。しかし、浅水川のつけかえ部分の土地収用が困難であったことや第一次世界大戦下の物価騰貴などにより、八年度に九万八〇〇〇余円を追加し、竣工期限を十一年度まで延長した。さらに、道路法による国庫負担の増加や物価騰貴などで、十、十一年度に合計六四万八〇〇〇余円を、また、十、十一年の水害対策として十二年度に四万二〇〇〇円を追加、第二期工事の総工費は五五万五〇〇〇余円にのぼった。
 第二期工事の対象区域は、日野川が左岸丹生郡豊村下司・右岸今立郡舟津村から足羽川との合流点まで、支川の天王川は丹生郡朝日村内郡から日野川との合流点まで、支流の鞍谷川は左岸今立郡中河村・右岸同郡北中山村から浅水川との合流点まで、支川の浅水川は今立郡中河村から日野川の合流点までと、足羽郡社村・同郡東安居村内の足羽川である。川幅は、日野川で一〇〇間から二七〇間、浅水川で三〇間(徳尾より下流)・二〇間(中野徳尾間)、鞍谷川で二五間、天王川で二四間から三二間とするというものである。工事の中心は、築堤・浚渫・護岸(合わせて工事費の五四・七パーセント)で、とくに築堤費(同三五・一パーセント)の占める割合が高く、一部の旧堤利用を除いて、新堤の築造が行われており、この工事の特徴を示している。
 浅水川の改良は、第二期工事のもっとも重要な部分で、徳尾より下流では全面的なつけかえが行われた。同川は、麻生津村を北流して社村舞屋を経て同村種池で日野川に合流していたが、本工事では麻生津村を西流させて同村三尾野で日野川に合流させるというもので、五〇〇〇間が短縮されて工費の削減となるとともに、福井市以南の足羽郡一帯が水害から免れるようになった。天王川では、当初は合流口に背割堤を築き日野川の逆流を防止する予定であったが、合流口より同川の平野部への出口までの一里に改修工事が施工された。また、吉野瀬川、志津川、未更毛川、旧浅水川、和田川、片上川などには樋門が設置されて、逆流防止がはかられた。



目次へ  前ページへ  次ページへ