明治十四年(一八八一)、新置の福井県で、あいついで大洪水が起こった。四月下旬からの強雨で水源地域の堆雪が一時に融け、五月七日にはついに暴漲し、九頭竜川では大洪水となった。石黒県令が、八一六三円余の官費補助を求めた文書によると、被害村は大野、吉田、坂井の三郡三五か村に及んだ。ちなみに民費支出金は一万三〇〇〇余円を見込んでいる(明治一四年「公文録」)。七月二日にも豪雨があり、四日には足羽・九頭竜の両川の堤防が決壊し大洪水となり、死者七人を出した。九月十三日の台風では、若狭地方の各河川が氾濫し大洪水となった。十四年度の県費中の治水費は五万五〇〇〇余円で、道路橋梁費の二万四〇〇〇余円、町村土木費補助の一四〇〇余円を合わせると八万余円となり、十四年度県決算総額の三割弱に達した。
十八年七月三日、台風により九頭竜川をはじめ諸河川が決壊し、福井県下は大洪水に見舞われた。被害状況は、流出家屋一三六三戸、堤防決壊三万二〇〇〇間、耕地被害五四八町歩、道路の破損は四万間、橋梁の破壊は一〇〇〇架にのぼり、水害の被害総額は四一万円に達した。復旧費七万五〇〇〇円の内訳は、国庫補助の二万一〇〇〇余円、新たに徴収する地方税一万六〇〇〇余円、さらに越前・若狭縦貫の新道開鑿費からの三万七〇〇〇余円であった。不景気と土木費の地方費による負担で、県民の困弊はいっそう深刻化した。県会では、河川道路は政府の所有であるのに、工事費用を地方費で負担するというのは道理に合わないとして、土木費の国庫支弁を建議している(福井測候所『九頭川筋出水予報調査』、『県議会史』一)。
二十一年八月と九月にも、県下の三五六か村が水害に見舞われ、復旧に要する地方費は三万五〇〇〇余円に達した。二十二年も、六月から八月にかけて強雨があり、県下の各河川が氾濫し洪水となった。二十四年には、七月に洪水、十月に地震に見舞われた。十月二十八日の濃尾地震は、震源地に近い大野郡や今立郡、さらに、福井、足羽、吉田、坂井などの各市郡で大被害があり、治水関係では、堤防破損一三九か所五〇〇〇間に達した。 |