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 第三章 明治期の産業・経済
   第四節 鉄道敷設と公共事業
     一 道路・橋梁
      明治三十五年の「土木費支出規則」
 牧野伸顕知事の積極的施策以来、県民の土木事業に対する関心は飛躍的に高まった。明治三十一年(一八九八)十月改正の「土木費支出規則」(県令第四七号)には、全額県費支弁の第一条道路に北陸道など六二道、全額県費支弁の第二条河川に九頭竜川など七河川、五分県費補助の第三条道路に福井市内の美濃道など一三〇道があげられ、とくに第三条道路に著しい増加(二十八年八月の「県費ニ係ル土木費支出規則」では九二道)がみられる。また、三十一年には、第三条道路として敦賀・杉津・今庄・武生・鯖江・福井・森田・新庄・金津・細呂木の各停車場道があげられ、ついで三十二年七月の改正(県令第四七号)では、第一条道路に昇格している。土木事業に対する県民の関心の高まりや、「鉄道敷設法」による北陸線の開通という大量輸送手段の出現、「河川法」による国家事業としての九頭竜川改修事業の進行は、土木政策に新しい基準と体制を必要とするようになった。
 三十五年三月に改正され翌年度より施行された「土木費支出規則」(県令第一九号)では、基準の全面的な改正が行われた。工費全額県費支弁の対象として、第一条の道路橋梁には「一 国道 二 仮定県道 三 国道又ハ仮定県道ヨリ停車場ニ至ル重要ノ道路 四 国道又ハ仮定県道ヨリ著名ノ神社仏閣ニ通スル道路 五 前各号路線外ノ道路ニ架設スル長十二間以上ノ橋梁」を、第三条には港湾として「三国港湾 敦賀港湾 小浜港湾 早瀬港湾 日向港湾」を、第四条には河川として「幅員十間以上ニシテ長一里以上ニ亘ル河川」の区域およびその下流、また上流に「幅員十間以上ニシテ長六百間以上ニ亘ルモノアルトキハ尚其地点迄」を、それぞれあげている。九月には、第一条の三に停車場とともに「郵便電信局所在ノ町村」が加えられ、第二条は「郡負担ノ道路橋梁ハ県費ヲ以テ其ノ工費ノ十分ノ五以内ヲ補助ス」と改正された(県令第八六号)。県費支弁や補助に関する新基準を示して、地域的な権衡を背景とする土木事業でふくらんだ土木行政の再編成をはかろうとしたのである。仮定県道とは、各県で県道に仮定して県費支弁の対象としていた道路のことである。県道は、九年に国・県・里道の制度を定めた際、その基準に達するものについて、内務省に伺い出て指定をうけることになっていたが、県道指定は容易ではなかったので、実際にはこのような措置がとられていた。
 十二月現在の仮定県道は勝山道、美濃道、三国道、新橋道(福井市北陸道・木田村足羽郡役所)、丸岡道、粟田部道、敦賀道、西田中道、丹後道、福谷道の一〇道で、三十六年七月には柳ケ瀬道、西近江道、竹原道、若狭道、丹波道が加えられ一五道となった。三十五年十月には、第一条の三・四の対象となる県費支弁里道として、福井・大土呂・森田・丸岡・金津・細呂木・武生・今庄・鯖江・杉津・敦賀の各停車場道、永平寺道、吉崎道、神宮寺道、蒲生道、梅浦道、東郷道、砂子坂道、池田道、早瀬道など里道二〇道が定められた(県告示第二五七号)。三十一年の全額県費支弁道路は六二道あったので、仮定県道と県費支弁里道合わせて三十五年で三〇道にすぎず、大幅な減少であった。郡負担の里道と、同道への県費二分の一以下の補助は、市町村の負担の増大に対応するための措置であった。
 六月には、「土木費支出規則」第四条の対象となる二五河川(県告示第一一九号)が、三十九年には、第一条五号の一二間以上の橋梁として、板垣橋、明治橋、小金橋、堅生橋、朝宮橋、清水山橋、吉川橋、下両郡橋、豊橋、上両郡橋、燧橋、古木橋、御陵橋、新保橋、五箇橋、芦原橋、港橋、松島橋、大手橋、西津橋、太良庄橋、岡田橋があげられている(県告示第一八五号)。
 三十五年三月、それまでの方面出張所にかえて土木工区が設けられた。第一土木工区は福井市におかれ、福井市・足羽郡・坂井郡・丹生郡・今立郡・南条郡・敦賀郡の全域と吉田郡・大野郡の一部を担当した。また、第二土木工区は勝山町に、第三土木工区は小浜町におかれていた(県告示第四五号)。さらに十一月には、道路定役夫がおかれた(県訓令第五七号)。道路定役夫は、土木工区の定める担当区域を常時巡回して、県費支弁の道路や橋梁などの保全にあたった。土木工区や道路定役夫の設置は、地域の交通や治水の現況を総合的に把握しようとする、新しい対応であった。



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