十月二十八日、濃尾地震が中部近畿の一四府県を襲った。福井県でも、死傷者一一五人、家屋などの全半壊五二〇一戸という被害があった。道路では八七三か所一万一〇〇〇間が、橋梁では一六か所が崩壊・破損した。この震災によって、「土木費支出規則」(県令第七四号)に「第八条 非常ノ暴災ニ罹リ市町村費ノ負担ニ堪ヘ難キト認ムルトキハ其年度ニ限リ前条補助ノ歩合ヲ増シ、又ハ列記外ノ道路橋梁ト雖トモ其工費ノ幾歩ヲ補助スルコトアル可シ」が加えられた。さらに、後任の荒川邦蔵知事は、「第九条 前条市町村属ノ河川道路及其他市町村属ノモノト雖モ之ヲ改修スル場合ニ於テハ県費ヲ以テ其工事ヲ執行シ又程度ノ歩合ニ拘ハラス之ヲ補助スル事アル可シ」を追加した(この県令で地方税を県費と改称)(二六年県令第二九号)。第一条に記される県費全額支弁の道路も、二十三年の一六路線に対し(県令第九号)、二十五年には二四路線に(県令第九号)、二十七年では三七路線に(県令第一〇号)、二十八年では五四路線に激増している(県令第四〇号)。
土木政策の転換を反映して、二十五年の通常県会には、五か年継続土木事業が提案され、美濃道・勝山道・西田中道・丹後道など三一道の改修や九頭竜川・笙ノ川・児屋川の治水事業などが、工費総額二一万九五〇〇円で実施されることになった。この事業は、二十八、二十九年の大水害もあり三十二年まで継続された(『県議会史』一)。 |