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 第三章 明治期の産業・経済
   第四節 鉄道敷設と公共事業
     一 道路・橋梁
      「土木費支出規則」の制定
 明治十一年(一八七八)の地方三新法の公布によって、道路の開鑿・修繕、架橋などは、県土木費として扱われ、県会の審議をうけることになった。また、政府は、十四年度からの土木費下渡金を廃止したので、県民の負担は大きくなった。
 土木費負担の問題は、新「福井県」設置の要因の一つであった。越前地方の分県を建言した千阪石川県令は、土木費負担の慣行が加賀・能登・越後地方と越前(四官六民)とでは異なっていることをあげ、とくに「道路費則チ北陸道線ノ如キ南越ハ官費ニシテ三州ハ皆民費ナリ」とし、官費下渡金廃止による対立の激化を憂いている(資10 一―一三五)。これに対し、篭手田滋賀県令は、敦賀・若狭地方と近江地方は、道路修繕、物資輸送など「密着シテ決シテ分割ス可ラサルモノアリ」として、新県の設置に反対であった。とくに若狭については、「若狭小浜ヨリ近江今津ニ達スルノ道路アリ。此道路ノ修否ハ若狭全国ノ盛衰ニ関ス」としている(明治一四年「公文録」)。
 福井県では、十四年十月、「地方費ニ係ル道路橋梁費支出規則」(甲第一六五号)を定めた。第一条「道路及ヒ之ニ架設セル橋梁ノ修築費ハ地方費ヲ以テ支弁スル」ものとして、北陸道(南条郡板取・福井・坂井郡丸岡・牛ノ谷)、西近江道、坂井港道、大野道、勝山道、丹後道、若狭道、塩津道、敦賀道、第二条「前条各道ニ架設セルモノヽ外」に地方費支弁の橋梁として幸橋・手寄橋(福井)、湊橋(坂井港)、今橋・小屋橋(敦賀港)、大手橋・土橋・西津橋(小浜港)、第三条「道路及ヒ之ニ架設セル橋梁ハ総テ町村」に属し、工事「費額十分ノ五ハ地方費ヲ以テ補助スルモノ」として小牧道、春日野道、金津道、禅師王子道、吉江道、梅浦道、織田道、粟田部道、丸岡道、泥原新保道、丹波道、刀根越道、内道をあげている。十五年五月、さきの規則を「土木費支出規則」(甲第一〇二号)と改め、第四条(河川・港湾)を追加、第五・六条では、多額の工事費が必要な場合の地方費による補助基準を定めた。ここに、地方費の支出を介して、道路、橋梁、河川、港湾管理の統一的な基準が作成されたのである。
 「土木費支出規則」は、以後たびたび改正されている。また、この十五年の「土木費支出規則」と前後して、「人力車取締規則」(甲第一〇一号)「馬車取締規則」(甲第一〇四号)が、さらに十八年六月には「駅伝営業取締規則」(甲第七一号)が定められ、道路利用の整備も進められた。



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