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 第三章 明治期の産業・経済
   第三節 金融機構の整備
     二 金融業の発展
      銀行数の増加
 明治三十年(一八九七)三月に金本位制が成立し、金融構造の基盤をなす貨幣制度が整備された。また、すでに述べたようにこれよりさきに銀行条例が施行されて銀行が簇生し、金融に先導されたわが国産業資本は確立過程に入った。県内では二十七年から三十二年にいたる六年間に二〇行の銀行が設立された(この期間に設立された貯蓄銀行二行は途中で解散したので除外した。また、福井県農工銀行は含めた)。年平均の新設銀行数は約三行の勘定になる。その結果、三十二年末の普通銀行、貯蓄銀行、農工銀行の合計数は二八行となり(表142)、福井県での銀行数は最高となった。三十二年末の県内銀行の設立状況をみると、おもな市町村に一〜五行の本店銀行があった。県庁所在地の福井市には本店銀行が五行あり、ほかに大阪の百三十銀行と富山の十二銀行の福井支店があった。百三十銀行福井支店はすでに大きな勢力をもっていた。敦賀、小浜、大野、三国の各町には三行、勝山町には二行の本店銀行があった。しかし、二八行のうち、支店をもたないもの一八行、一支店をもつもの六行、二支店以上をもつもの四行と、大半の銀行は本店だけで営業していた。少ない店舗で営業するこの状況は四十年末でも基本的には同じであった。

表142 県内銀行の公称資本金
表142 県内銀行の公称資本金
 表142は県内銀行の資本金規模別の推移を示したものである。資本金は三十二年末はもちろん四十年末でも、すべて一〇〇万円未満である。資本金二〇万円未満の銀行が両年とも全体の過半数を超え、とくに三十二年は全体の八〇パーセント近くを占めている。このように明治期の県内銀行の多くは、資本金二〇万円未満で、営業店舗も少ない小規模銀行であった。
 三十二年末に最高に達した銀行数は以後しだいに減少し、大正元年(一九一二)末には二三行となる。この間の銀行異動で、貯蓄銀行二行が、前述の久二貯金銀行の勢力に押されて解散または吸収合併されたこと、および資本金二五万円の勝山町の大手銀行と、鯖江町で織物金融の一翼を担っていた越前商業銀行が福井銀行に買収または吸収合併されたことが目をひく。しかし、本格的な銀行合同が始まるのは第一次世界大戦後である。<表141 県内銀行異動参照



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