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 第三章 明治期の産業・経済
   第二節 絹織物業の勃興
    二 輸出向羽二重業の勃興
      羽二重業の経営
 羽二重業は、原料である生糸の購入代金が羽二重製織売上げの約八割を占め、付加価値の低い産業であった。そのため、とりわけ生糸相場と羽二重相場の変動に大きな影響をうけた。ただ、個別経営史料がきわめて乏しいため、景気変動に大きな影響をうけたであろう斯業の経営実態はほとんど解明されていない。
 そのようななか、二十年代なかごろの羽二重業の急速な発展の理由をうかがえる資料として、平賀農商務技師の『機業ニ関スル談話筆記』(旧内外海村役場文書)が残されている。これは明治二十五年(一八九二)秋に福井を訪れた平賀農商務技師が行った講話であり、それ自体は、機業家に対して目先の利益だけでなく不況到来時への諸対策をこうじる必要性を説いたものであるが、そのなかで当時の羽二重業の好況をつぎのように話している。「一日ニ機数五〇台ツヽ増加」しており、斯業に新規参入するため五台の織機を付属品とともに購入すると約一一二、三円の資金を必要とするが、「一台一ケ月四疋ノ羽二重ヲ織リマスモノト見積タ所テ、工賃其他ノ諸掛リヲ差引キ凡ソ六拾円内外ノ利益アリ」としている。彼の講話によれば、二十五年ころには、自宅の一部を使用して羽二重生産を始める場合は、一か月で十二分に投入資金を回収できるほどの収益があったのである。しかし、二十六年には生糸相場が約三割上昇し、このような好収益は望めなくなっていたと思われる。
 翌二十七年に、福井県を視察した香川県の『羽二重織調査略記』(明治二十八年四月)には「羽二重織参拾機ニ対スル明細」の記載がある。表128は、織機三〇台で羽二重業に新規参入する場合のこの時期の実態を参照にした一般的モデルと考えられるが、原料生糸代が羽二重売上高の八割を占めており、年間純益は八五五円で、織機一台あたりの一年間の純益は二八円五〇銭とされている。ただこのモデルでは運転資金が二四〇〇円と高く見積られ、そのため資金利子が四〇〇円余にものぼり、また、技術指導の教師俸給などが二五四円とされている。したがって、すでに操業している機業場では、ほぼ倍近い純益があったと考えられる。

表128 羽二重30機経営の収支(明治27年)

表128 羽二重30機経営の収支(明治27年)
 またこの時期から約一〇年後の、三十八年に農商務省がまとめた『輸出羽二重調査資料』には、福井県が報告した、織機一〇台を使用し一か月一尺五寸幅羽二重(一二丈物)四〇本を生産したものとみなした収支概算のモデルがあげられている(表129)。この表は、六匁付から七匁五分付までの量目ごとの収支概算があげられているほか、事業で使用する土地・家屋の固定資産に対する利子や税金も計上されており、表128と比べより詳しいものになっている。手織機一台分あたりの設備資金は三〇円を見込んでおり、また生糸代が羽二重販売高の八三パーセントと二十七年よりやや高い比率となっている。反対に、織賃などの工費の支出に占める比率は低くなっている。生糸相場が羽二重相場を上回る上昇をみせ、工賃などを低く押さえることで収益を維持しようとしていたことが推測される。表128は、新規参入の一年間の、表129は経常の一か月の収支であるが、単純に一台あたりの一年間の収支を比較するとほぼ同じとなる。しかし、表128の新規参入のための経費を差引くとこの一〇年間に収益率はかなり低くなっている。

表129 羽二重業収支概算(明治36年)

表129 羽二重業収支概算(明治36年)
 なお、表128・129とも、原料生糸代が羽二重販売高の八割を超えており、この原料費の比重の高さが、生糸相場の変動とも関連して羽二重生産に大きな影響をあたえるとともに、活発な織物金融を不可欠としていた(第三章第三節)。



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